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2022年1月28日号 フランス共和国政府 農事功労賞  シュヴァリエ勲章受章記念インタビュー

シュヴァリエ勲章受章記念インタビュー 大和リゾート(株) 顧問・名誉総料理長 長門  慶次氏

【月刊HOTERES 2022年01月号】
2022年01月27日(木)
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海外に 飛びだしたい!一心で始まった料理人の道

----この度は名 ある勲章を授与されおめでとうございます。まず始めに、今の率直なお気持ちをお聞かせください。

率直な気持ちとして、昨年12月6日、駐日フランス大使公邸においてフランス農事功労章シュヴァリエ叙勲式にて 礼の 葉としてお伝えしたことを申し上げます。
 
『まず初めに、この名誉ある章を授与していただきましたこと、フランス共和国へ御礼申し上げます。
農務参事官ジェローム・ペルドロー様より受章を賜りましたこと大変光栄に思います。また、本日受章式に協力いただきましたフランス大使館経済公使クリステール・ペリエド様、レザミ・ドゥ・キュルノンスキーの理事会の皆さん、私を長きにわたり料理人として育ててくれました会社の皆様に厚く御礼申し上げます。1984 年私はホテル・ドゥ・クリヨンで研鑽し、本場のフランス料理と素材の素晴らしさに出会うことになりました。

その衝撃は今でも忘れられないほどです。日本に帰国後はその素晴らしさを若い料理人に伝え、私自身1990 年に再度渡仏し、サンテチエンヌのピエール・ガニエールの元でさらに修業を積むことにしたのです。フランス料理とブーランジュリーの研修をし、フランス人グランシェフと仕事ができたことを大変光栄に思っています。また多くのシェフたち、ピエール・ガニエール、パトリック・アンリルー、アラン・バザール、ミッシェル・ロスタンたちは日本での私の晩餐会のために来日することを快く引き受けてくれました。私の働くホテルはリゾートに位置しております。 都心ではなく地方ホテルにおけるフランス料理レストランの難しさに直面したことも事実です。
 
しかし、情熱と粘り強さをもって取り組んだことが一層若い料理人たちとの絆をつくる良い結果となり、ブュッフェ料理、和食などへの、フランス食材の可能性を追求する楽しみも共有することができるようになりました。最後にフランス食材を使い、フランス料理を作り、そして後輩たちにそれを伝えることを何よりの幸せと感じていることを私の功績として認めて下さいました農務水産大臣ドゥノルマンディ様に心から感謝と御礼を申し上げます』

----ありがとうございます。経歴を拝見するとフランス二ツ星・三ツ星レストランの美食プロデュースや三ツ星レストラン、ピエール・ガニエール氏を国内に招聘され、全国各地のダイワロイヤルホテルズにて 8年間 、美食会・技術研修会の総責任者として活躍されています。フランスとの友好を深め、日本にフランスの美食の素晴らしさを伝える伝道師として尽くされてきました。そもそも、料理人の道を選択されたきっかけをお聞かせください。

日本を飛び出して海外へ行きたいという思いが強かったため、思いを実現させるための大学受験をしたのですが、残念ながら入学することができず、海外に行けるチャンスのある 調理専門学校へ進学しました。父は日本の大手鉄 メーカーに勤めながら本屋を営み生計を立てていました。小学生のころ、注文いただいた本を住居兼店舗から自転車で往復2時間近くのお客様宅へ配達させられたものです。父の本屋業は兄弟で反対し、何とかやめていただきましたが、当時、父が副業をするほど決して裕福な生活ではなかったのです。この生活から抜け出し、海外で何かをつかみたいと思ったことが料理人の道を歩むきっかけとなったのです。

 

フレッシュ感あふれるフランス・パリのマルシェに感動

----そして念願の海外での修業を手にしたのですね。

 本来は渡仏したかったのですが、残念ながらそのルートがなく、最初はアメリカ・デンバーに渡りました。アメリカの料理はダイナミックな 理が主流のため、日本人の繊細な技はとても珍しかったのでしょう、当時、デンバーの歌手として著名なシンガーが厨房にまで立ち入り、その技を称賛していただいたほどです。その後、ようやく念願のフランスに門戸が開かれ、パリの「ホテル クリヨン」にて修業することができたのです。そのとき、日本にはないフランス料理の 材の素晴らしさに魅了されたのです。
 
----フランス領地の食材の素晴らしさとは具体的のどのようなことですか。

 マルシェ(市場)で氷の上に鮮魚が並べれているなど、日本の市場とは見せ方がちがうのでしょうが、鮮度の良い新鮮な食材が豊富にありました。生き生きしたフレッシュ感にあふれていたのです。このときにフランスの食の豊かさや素材に対するこだわりを実感したのです。
 
 また総料理長にいち早く就任するために“365 日は700 日” と決意し、22 ~ 24歳のころはレストラン2カ所の掛け持ちや、パン屋とレストランを掛け持ちして、1日で2日分を修業積みました。目標である総料理長になるまでの時間を半減できると考えてたのです。とにかく当時は、子どものころの生活から脱却するために、早くしっかり稼いでいい車に乗って、家を持ちたい、いい暮らしをしたいと うハングリー精神にあふれていたのです。
 
 帰国後、大阪のホテルに経て1988年、浜名湖ロイヤルホテル(現 THE HAMANAKO)の開業にともない、料理長として入社することになり、今日に至るまで34 年 。大きな心で理解していただいたオーナーに恵まれ、総支配人という立場も経験させていただき、大和リゾート一筋で料理の道を歩み続けることができました。その中で私の転機は1990 年、三ツ星レストランを切り盛りするピエール・ガニエール氏との出会いです。この出会いはこれまで研鑽してきたフランス料理の修業は何だったのかと思うほど、衝撃的であるとともに、私の料理に対する発想を大きく転換する出来事だったのです。

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本記事は2022年1月28日号 一部紹介記事です。
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