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第3 回 Part1 中村勝宏プレゼンツ ~美味探求~

第3 回 Part1  日本料理 たかむら 店主 髙村 宏樹 氏 ×  ホテルメトロポリタンエドモント 統括名誉総料理長 中村 勝宏 氏

【月刊HOTERES 2017年09月号】
2017年09月08日(金)
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ホテルメトロポリタンエドモント 統括名誉総料理長 中村勝宏氏
日本料理 たかむら 店主 髙村宏樹氏

はじめに
以前、このホテルレストランの誌面で十六名の食のエキスパートの方々と対談させて頂いた。このことはかけがえのない財産となっている。そして改めて食の深さを知ることとなった。今日、世界的にさまざまな問題が生じ混沌として厳しい時代となった。しかし私どもはいかなるときも食と向かい合ってゆかなければいけません。この度の対談の再開にあたり、新しい視野の元、敬愛する皆さまと互いの胸に響きあえる対談を心してまいりたい所存です。
 

髙村宏樹
Hiroki Takamura
1971年秋田県生まれ。高校卒業後、当時目白にあった赤堀栄養専門学校に入学。在学中、太古八の親方にスカウトされ、学校に通いながら修行をスタートさせる。95年24歳で板長になる。99年28歳で故郷の秋田で独立し、「日本料理 たかむら」を開店。2016年11月農林水産省の「料理マスターズ」に、秋田県で初めて選出される。17年5月よりJR東日本が運行する豪華寝台列車「TRAIN SUITE(トランスイート)四季島」の旅先で、3日目のディナーを担当する。
 

中村勝宏
Katsuhiro Nakamura
1944 年鹿児島県生まれ。高校卒業後、料理界に入る。70 年渡欧。チューリッヒの「ホテルアスコット」を皮切りに、以後14 年間にわたりフランス各地の名だたるレストランでプロの料理人として活躍する。79 年パリのレストラン「ル・ブールドネ」時代に、日本人としてはじめてミシュランの1 つ星を獲得。84 年に帰国。ホテルエドモント(現ホテルメトロポリタン エドモント)の開業とともにレストラン統括料理長となる。2003 年フランス共和国より農事功労章シュヴァリエ叙勲。08 年の北海道洞爺湖サミットでは、総料理長としてすべての料理を指揮統括する。10 年フランス共和国の農事功労章オフィシエ叙勲。13 年日本ホテル㈱取締役統括名誉総料理長に就任。15 年クルーズトレイン「TRAINSUITE(トランスイート)四季島」の料理監修。16 年フランス共和国農事功労章の最高位「コマンドゥール」を受章。
 

親方との運命の出会い
中村 この前、髙村さんのお店に初めてお伺いし、髙村さんの料理を作る姿勢とその想い、そして実際に食べさせていただいた料理にすごく感じるものがありました。また、髙村さんの「江戸料理」という料理の流儀というものに非常に興味がつのり、ぜひ対談をさせていただきたいと思ったわけです。それではまず、この料理の道に入った動機、そしてなぜ日本料理だったのかというところからお聞きしましょうか。
 
髙村 今日は僕と対談していただけるというので、とても楽しみにしてまいりました。よろしくお願いいたします。さて、高校は進学校だったのですが、高校二年生のころに、「進学するのか、それとも専門学校などに行くのか」といった、第1 回目の人生の岐路に立ったわけです。友達たちが進学する中で、「手に職を付けたいな」と考えるようになりました。将来は自分で独立し、自分で飯が食いたいと思って、「何が良いんだろう」といろいろと悩んだ末に、「料理人になろう」と考えたわけです。それで「東京で修行するのが一番だ」と思って、目白の栄養専門学校に通うことになりました。東京の白山でおばさんが喫茶店をやっていて、夜はそこでアルバイトをしておりました。ちょうどそのころ、目白で昭和8 年からやっている太古八というお店が建て替えの時期になっていたんですね。後に僕の師匠になるわけですが、そこの羽賀英夫親方が若い衆を探しておりまして、「料理学校に行けば誰かいるだろう」と、アポなしで僕の料理学校に来られたわけです。そのとき昼休み中で、僕は夜のバイトをしていたのでロビーのソファでこっくりこっくり寝ていたら、ポンポンと肩をたたかれました。ハッと見たら、知らないおじさんがいて、「この人特別講師の先生なのかな」なんて思いながら返事をしたら、いきなり、「君、和食をやりたくないか?」と声をかけられました(笑)。そのときなぜか「はい、やりたいです」と即答してしまいました。若かったし何も考えてはいなかったんですけどね(笑)。
 
中村 かの運命のごとく、ダダダダーンと肩をたたかれたわけです(笑)。
 
髙村 そうそう(笑)。それで「なんで和食をやりたいんだ」と聞かれて、これまたとっさに「日本人だからです」と、とってつけたように答えたわけです(笑)。
 
中村 今にして思えば、それが人生を決めた一言になった!
 
髙村 ええ、そうなります。「そうか。それなら今日学校が終わったら目白駅で待ち合わせよう」と言われました。当時、大塚駅にすし栄というすし屋さんがあって、「君、江戸前のすしは食べたことあるのか」と聞かれて、「ないです」と答えると、「じゃあ食い方を教えてやる」と連れて行かれ、そこで初めて「君、名前はなんて言うんだ」と聞かれました。そして「君、将来独立したいか?」と。「はい。そのために東京に来ました」と言ったら、「じゃあ、今日からおれを親方と呼べ」と言われて「明日から学校が終わったら来い」と。
 
中村 すごいね。その見知らぬ方との出会いによって、髙村さんの進むべき道があっさり決まってしまったわけだから。
 
髙村 全くその通りで、そこから修行が始まったんですよ。
 
中村 私も多くの人から話をたくさん聞いてきたけれども、非常にまれなケースですね。感心するのは、そこで髙村さんが素直な気持ちで入り、そしてそのまま何の疑いもなくこの道を全うし、ここまで来られたということです。
 
髙村 ですかねえ。折々に他人から「なぜ和食に進んだの」と言われたときに、返事に困ってしまいます。
 
中村 うーん、もしその方が洋食、または中国料理だったら、その道に進んでいただろうし、もしかして、パン屋さんやお菓子の道もあったわけだよね(笑)。
 
髙村 たぶんそうでしょうね(笑)。
 
中村 いずれにせよ、そのきっかけをしっかり自分のものにされたわけだから、素晴らしいことだと思います。

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