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第6回 Part2 中村勝宏プレゼンツ ~美味探求~

第6 回 Part2 ホテルメトロポリタンエドモント 統括名誉総料理長 中村勝宏氏× 翁達磨 店主 高橋邦弘氏

【月刊HOTERES 2018年09月号】
2018年09月14日(金)
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技術と思いの継承
 
中村 いやぁ高橋さんは東京を遠く離れたところで、そばの普及のために、身を粉にして本当に頑張っておられますね。頭が下がる思いです。日本の食文化は限りなく西洋化していますけども、高橋さんがなさっている日本の風土を代表するそばなどの食文化をいかに継承していくかということは、とても大切で尊いことです。また、個人が蕎麦を打つことの喜びが広がることは、食生活の改善にもつながることになります。でもそうした動きでは核となるリーダーがいないと出来ないわけです。高橋さんには本当にご苦労様です。先ほど話した当時のウィンザーの斉藤さんなども、高橋さんの技術とその意義をしっかりと継承されていましたね。そして本物の蕎麦職人であり、蕎麦バカでした。そして彼の水ようかんは天下一品でしたね。
 
高橋 そうです! 私の知り合いの和食の松本忠子先生が、斉藤の水ようかんを食べて「あれはすごかったなぁ」とたまげていらっしゃいました。
 
中村 わかります。対談前の会話で斉藤さんがお亡くなりになったことを知りました、本当に残念です。あれだけの水ようかんを二度と口にすることはないでしょう。
 
高橋 口に含んだ瞬間のあの甘さと感触がすごいですね。
 
中村 そう! 口に含んだときのなんともやさしく上品な旨みは、口で表現できない食感で、すべてのバランスが完璧でした。あの角が見事に立ち凛とした姿は私にとっては国宝級の水ようかんです。
 
高橋 うーん、うまいこと言いますね。まさにそのとおりで、見事に角が立っていました。
 
中村 さて、以前電話したとき、高橋さんがいきなり「体調が悪くて今入院中だよ」と言われびっくりしましたが、もう大丈夫なのでしょうか?
 
高橋 まあまあです。去年は首の頚椎と腰で2 回入院しましたからね。
 
中村 それで大丈夫かなと思っていたときに、東京のホテルで蕎麦懐石をされるというチラシを見て高橋さんが上京されることを知り、慌てて電話し、対談ができる時間があるのかお聞きしたわけです。私は前々から高橋さんの蕎麦にかける人生というものを記録に残しておかねばという気持ちがありました。今日は実現できて本当に嬉しく思います。それと高橋さんは、ご自身の蕎麦に対する見事な情熱を通じて、全国にすごい数のお弟子さんを育てられましたね。
 
高橋 まあ一応数はいますけどね(笑)。
 
中村 実際、どこかに行かれるときは必ず近くのそうした方々が駆けつけてきて、皆さんで協力なさっておられますが、あの風景は高橋さんご自身のすべてを表しているように思えます。
 
高橋 そうですね。確かに皆が駆けつけてくれます。ありがたいことだと常々感謝しています。
 
中村 やっぱり、高橋さんのところまで行って蕎麦を習いたい、弟子になりたいという方は、よっぽど蕎麦に対しての情熱が半端じゃない人たちでしょうね。
 
高橋 そうそう、思い入れが強いですよ。
 
中村 またそういう人じゃないと続かないだろうし、好きこそものの上手なれと言うけど、一途な思いがあってこそですよ。料理人もそうですけど、2~3年経ってぐっと伸びる人と、もたもたしている人に別れますが、やはり自分自身が料理に目覚めた人は、黙っていても自分の仕事に意欲が変わってきますね。
 
高橋 そうそう。自分で吸収しようという意識がありますね。まあ最初から「何時間働くんですか」とか「日曜は休めるんですか」とか言う方はお話になりません。
 
中村 わかります。やはりひとつの覚悟が必要となるでしょう。先程少し聞きそびれましたが、蕎麦にはさまざまな要素がありますけど、「茹でる」ということに感心したことがあります。それは以前、ウィンザーに高橋さんが来られたとき、現場でずっと高橋さんの動きを見ていましたけども、高橋さんは蕎麦を釜に入れるとき、必ずストップウォッチで測っていましたね。どんなに忙しい時でも欠かさぬ行為でありました。
 
高橋 そうです。私は必ず測りますね。
 
中村 やはり麺の太さや質など、さまざまな要素を考えてやられるのでしょうけど、あのとき、蕎麦を茹でることの正確さというのは絶対条件の一つなのだと思いました。
 
高橋 私も山梨のときから若い子に水回し(蕎麦粉に加水し撹拌することで、粉にまんべんなく水を行き渡らせる作業)という仕事をさせています。水がちゃんと回っているということはもちろん大事ですけど、そのときにほんの僅かな差で硬さとか感触が変わってきます。ですから、水回しをさせた人間に必ず釜(茹でること)をやらせるようにしています。ですから「今日の1 つ目は少し水が入りすぎた」とかあるわけですけど、それを塩梅できる人間じゃないと駄目なんです。
 
中村 なるほど、とてもよく分かります。1 枚ずつストップウォッチで測定しておられましたが、あれは確か20 秒くらいでしたね?
 
高橋 そうです、だいたい私の蕎麦の太さでは20 秒前後ですね。
 
中村 どちらかと言うと、高橋さんの蕎麦はそんなに太くありませんが、ああやって必ず時間を測る姿勢を見ていて、あれは蕎麦の仕上げの部分として、その後すばやく冷水で洗う行為とともに、とても重要な要素となるわけですね。
 
高橋 そうです。ですので、どんなに粉が良くて製粉が良くて、蕎麦にする技術が良くても、茹で方で駄目にすることがありますからね。要するに、何一つ欠けても駄目なんですよ。
 
中村 それはよくわかります。やはり真に「おいしい」にたどり着くには、全てのプロセスが完璧でバランスがとれて初めて言えることでしょう。それがすごく印象的でした。それはすべての料理づくりに共通していることです。
(Part3につづく)

高橋邦弘
Kunihiro Takahashi
1944 年東京都生まれ。72 年片倉康雄の「日本そば大学講座」に入門、蕎麦打ちの世界に入る。年宇都宮「一茶庵」で修行を始める。修行のかたわら片倉康雄の蕎麦教室の師範代を務める。75 年東京都 南長崎に「翁」を開店する。79 年長野県池田町にて蕎麦の栽培を始める。85 年南長崎「翁」閉店。86 年山梨県 長坂に「翁」開店、自家製粉開始。玄蕎麦を求めて全国の産地を訪ね、生産者たちと交流を広める。2001 年広島県豊平町長笹「達磨・雪花山房」にて、蕎麦指導を中心とした活動を開始する。現在、全国の蕎麦会、蕎麦祭り等で各地を飛び回っている。

中村勝宏
Katsuhiro Nakamura
1944 年鹿児島県生まれ。高校卒業後、料理界に入る。70 年渡欧。チューリッヒの「ホテルアスコット」を皮切りに、以後14 年間にわたりフランス各地の名だたるレストランでプロの料理人として活躍する。79 年パリのレストラン「ル・ブールドネ」時代に、日本人としてはじめてミシュランの1 つ星を獲得。84 年に帰国。ホテルエドモント(現ホテルメトロポリタン エドモント)の開業とともにレストラン統括料理長となる。2003 年フランス共和国より農事功労章シュヴァリエ叙勲。08 年の北海道洞爺湖サミットでは、総料理長としてすべての料理を指揮統括する。10 年フランス共和国の農事功労章オフィシエ叙勲。13 年日本ホテル㈱取締役統括名誉総料理長に就任。15 年クルーズトレイン「TRAINSUITE(トランスイート)四季島」の料理監修。16 年フランス共和国農事功労章の最高位「コマンドゥール」を受章。

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