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第7 回 Part2 中村勝宏プレゼンツ ~美味探求~

第7 回 Part2 日本ホテル株式会社 特別顧問統括名誉総料理長 中村勝宏氏 × 株式会社佐藤総合計画 代表取締役社長 細田雅春氏

【週刊ホテルレストラン2018年11月02日号】
2018年11月02日(金)
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中村 最近は一般のマンションや、一戸建てでも、オープンキッチンを設ける場合も多くなっていて、あれは食の延長から一家団らんの空間というのをより意識されたものなのでしょうね。
 
細田 奥さんが料理をするところも夫婦で共有したいと。それが安心になるし、見て、一緒になってやるという、そういうことがこれから重要になって来るのでしょうね。

中村 それはホテルやレストランでも同じで、オープンキッチンでお客さまに料理を作っている姿を見せるようになりました。当然厨房もHACCP 方式を導入し衛生的にも美的にも完備した厨房を見せることでお客さまから安心と信頼が得られることになります。
 
細田 なるほど。建築において、近代社会を作り上げてきたときは、一つ一つの要素を分解して、要素ごとにまとめて適したものを創るということをしていました。しかし現代では、いろいろなものが混じり合う、ファジーな領域の中で、空間を作っていくようになっています。だから、境界や境目が分からないような、そういうところが大切だ、という建築の動きになっています。ですから、今後料理も、日本、フランス、中国などさまざまな国の要素がミックスされて、混ざり合って新しい世界が出てくるのではないかと思いますね。
 
中村 根底にはわれわれの生活習慣が時代とともに進化している中で、食の場もどんどん変化しているものということになるんですね。
 
細田 おっしゃる通りで、社会が変わるとそれとともに人の感覚も変化していくと思います。私は、人間の感性よりも社会の動きの方が速いと思っているんです。ですから、それにいかにフィットして歩んでいけるかが重要になると思います。今の時代の流れは特に速いですから、なかなかそれに乗っていけないけれど、社会の中で混ざり合っていろんなものが複合的になっていく、ということがますます起こってきていると思っています。グローバル社会だけれども、ローカルな社会も重要で、それがいかに混ざり合うかというところがこれから問われると思うし、難しいことになると思う。グローバルとローカルというのは全く違う世界を持っているものだから。それを混ざり合わせるというのは難しいことだけれど、それをやっていくというのが私たち建築家の仕事であり、それから中村さんのこれからの料理のかじ取りの部分になるのではないかなと、私は思っています。
 
中村 まさにそのような時代に向かっていることを実感します。一方では先程先生もお話しされましたが、いま世界的にアメリカの貿易に関する自国優先的な問題、難民発生に絡む民族のさまざまな問題、また地球温暖化による気候変動による災害などなど世の中がファジーな方向に進んでいるように思えてなりません、昔はある程度の秩序があったのが、いまはそれらがことごとく崩壊されていく中で、人々のよりどころをどこに求められるかが問われる時代になってきたのではないでしょうか。
 
細田 そうですね、私もその点をとても心配しています。ただ私は、今、自分が歴史の大きな転換点にいるということも実感しているんです。近代社会がずっと続いて、合理的な社会というものを作ってきたけれども、コンピューターの時代になって、目に見えない情報で人間が動かされる時代になってきている、我々はそのちょうどはざまにいます。だから、そこに自分の居場所を作っていくというのは、世代交代も含めて非常に難しい時代だと言えるのではないでしょうか。次の世代の人たちは、これからどういう風にそれを作っていくのか、という課題を背負わされているなという感じはしますね。
 
中村 私どもがこの道に入ったころは、料理の見てくれはどうでもいいから、味がうまければいい、というように食べることに特化したような、お客さまの満足感だけを追求したような感がありましたけど、いまは、総合的に食の背景には、健康志向という巨大なテーマがあり、それを無視することはできないどころか、むしろ主流をなってきました。きっと食が満たされた時代となってきたがゆえに必然的にそこに向かっていくことになったのでしょう。
 
細田 私たちのキーワードもいま「健康」なんですよ。健康な都市を作ろうと。今までは、車社会で巨大な社会を作っていましたけれど、これから超高齢社会になって人口も減っていく中で、巨大な社会を維持しながら生きていくことはできない。ですから、もう少しコンパクトな、人間の歩行圏内(800m ~ 1㎞くらい) のスケールで、歩いていけるような都市を作りたいと思っています。いわゆる「コンパクトシティ」というのですが、健康に暮らせる都市を作っていこうという流れが、少しずつ加速し始めています。
 
中村 それは基本的にそこでの生活は「歩く」ということですね。
 
細田 そう、歩くことです。歩くということは同時に人とのコミュニケーションもできるわけです。車に乗って高速道路でさっと移動するような都市ではダメだということですね。時代が変わり始めたことをもう少し意識しようということで、都市の新しい姿を私たちはいま模索し始めています。「健康」というのは重要なキーワードです。
 
中村 私を含めて高齢者の方もどんどん増えていますし、どうしても健康が社会生活の中で、キーワードにならざるを得ない時代になってきたわけですね。
 
細田 よく言うんですが、都市にタワーマンションを作ることは反対なんです。これはオフレコの方がいいかもしれませんが(笑)。例えば、高いところに住むと、老人なんかは地上に降りるのも大変になってしまう。それから、アメリカの報告だと、体の不調なんかで救急車で運ばれた場合、高層階になるほど死亡率が上昇するというんです。そもそも運ぶのに時間がかかってしまうし、エレベーターでの搬送も大変なんです。もちろん、オフィスのような働く場所は別に高層でも構わないと思いますが、住居としては高層ビルは、人間の住むところとは言えないんじゃないかと。むしろ、地方の人口が減少したり、空き家が増えていったりする中で、都市が虫食い状になってきています。そういうことを考えると、あんまりにょきにょきしたものを建てるべきじゃないと。それは、経済至上主義の中で生まれた産物でしかないんです。効率がいいですからね。しかし、ここでちょっと立ち止まって、少し距離を置いて変えていかないと、これからの都市にふさわしい環境というのは生まれてこないのではないかと、私は危惧しています。
 
中村 今先生が本音で言われたことに感動を覚えています。中世の時代からバベルの塔のように高いところにあこがれてきて今日まで、世界中に高い建物がたくさんできています。ニューヨークなど、その典型的な都市のような気がします。そこからちょっと田舎に行くと限りなく平地が広がっていて、遠くに野山があるその自然の風景にあこがれる傾向も多く求められてきました。
 
細田 都会に住んでいる人が地方に行って、地方の良さというのを体験しないと、観念だけでは地方というものは理解できないと思いますね。住んでみて、こっちの方がいいという実感を持ってもらう方がいいのではないかと思っています。それが、人間の身体的感覚の原点だと思うんです。
 
中村 個人的に私は帰国当時、会社の空きマンションに住ませていただきましたが、両隣に気遣う経験があってゆくゆくはそれらに気兼ねがないところに住みたいと思っていました。でも最近はそこそこの高見から夜明けの情景や、夕焼けの荘厳な景色にすごい魅力を感じていまして、そんな自然の景色を満足できるところに住んでみたい願望もあります。
 
細田 眺望は良いんです、眺望は。だけど眺望だけで決めるというのは、偏った考えなんじゃないかなと。もちろん、売る方も眺望を第一に売るわけです。そうするとお客さんもすぐ飛びついてくるから。でも、生活全体というのは複合的で複雑なものですから、トータルにものを見極める能力を身につける必要があると思っているんです。近代主義、経済至上主義というのは、ある部分のメリットを強調して売るということをしていました。この例でいうと眺望です。そういうことだから人間の住む環境とはかけ離れてしまった。
 
中村 そういうことにすでに多くの人々が気付いているのではないでしょうか。
 
細田 そうですね。もう変わってきていると思います。だけど、都市の人口も減ってきているので、業者がそういうものを作りたいっていうと、行政が規制緩和してしまうんです。人口を増やしなさいということで。だからいたちごっこみたいで(笑)、でも行政にとって、人口が減るというのは大変な問題なんです、だから人を呼び込もうと眺めの良いマンションを作って、景色が一望できますってやっちゃう。つまり近代社会というのは、全部切り売りで評価していく感じなんですね。さっき言った部分的なものを積み重ねていくようなね。総合的に物を見るということを、もう一度振り返って見ないといけないというのは最近本当に感じていることですね。
 
中村 私も年とともに多くのことを経験し、思いや考え方も変わってきています。いま最も感じていることは自然環境がどんどん変化する中で、私どもの仕事のパートナーでもある食材が今後どのように変わっていくのだろうか。そして料理人は今後どうあるべきかということです。
 
細田 つい最近、テレビで家康のお城を作った大工の棟梁のことを聞いたんですけれど、やっぱり棟梁というのは素晴らしいんですよ。材木はどこから切り出して、どのように運ぶか、石はどこから持ってくるか、そしてお金のことや工事期間とかも全部棟梁は頭に入っていて、指揮していたといいます。しかし近代産業というのは全部分業で、別々の人がやるわけです。だから専門性は高いが、美しい良いものが作れるかというのは疑問です。かつては棟梁が、すべて頭の中に集約して指示を出していたわけです。だけど今の社会って、分業化が最初からあって、何を作っているかというのを誰も分からない。どこに行くのかも分からない、ブラックボックスです。NASA のロケットがそうらしいですね。自分たちのやっているポジションすら分からない。こういうものを作れ、という指示の下でやっているけど、全体の計画のもとでロケットにどのような役割があって、どんな位置づけなのかを誰も認識できないような状況の中で、専門性だけが磨かれていく。さっきも話しましたけれど、厨房を見せるのと同じで、プロセスをお互いが知るというのはすごく大事なことなのではないか。そういうことが、近代化が進むにつれて忘れられてきたことなんじゃないかと、これから見直すべき点だと考えています。
 
中村 それはもう本当によく分かります。料理長にはホテルや会館など、組織で頑張る方と、オーナーシェフとしてすべてを仕切りながらの2 人のタイプがありますが、日々の仕事を通じてかなりの違いがあります。それぞれに一長一短があり自分がどこを目指すかですね。私はフランスでシェフとして日々をのたうち回っていた経験が自分の原点となっています。でも今はシステム的にも技術的にもかなりの進化があり、逆に様々な点で教わることが多いですね。でも一つだけ気になることは現代では自己主張が先行し、基本がおろそかになりがちなことです。
 
細田 建築の世界では、今はほとんどコンピューターで設計を行なっています、手で描くなんていうことはないんです。そういう単なる技術、情報を入れて処理をするということはどんどん進んでいます。しかしその前提の、どういう構想、フィロソフィーでものを作るかという、最初のイメージの部分は、設計する人間が今まで培ってきた教養などのいろいろな背景が必要になるわけですね。でも、それを教えずに、ただ技術だけを教える教育方法がいま大変多くなってきている。料理でも建築でもそうですが、人間の持っている豊かさや可能性というものがないと、いいものはできない。
 
中村 感性を磨く場というか、そういう場が現代の合理主義や短期での結果を求める社会ではなかなか人材育成も難しくなりましたね。つまりゆとりがほしい気がします。
 
細田 だから私はいつも言っているんですが、感性の部分と理性の部分、どっちに偏ってもダメだと。いつもせめぎ合っているような状況を作っていかないといけない。感性だけで、アートのような世界になってもダメだから、お互いに高めあうような理性が必要だと。そういうことが最近の教育は、大学教育も含めてできていないのではないかと思います。
 
中村 素晴らしいですね。そういうことを声を大にして、いろんなところで先生のような方々に言っていただきたいですね。
 
細田 いやいや(笑)、私もこういう話をする機会を中村さんからいただいて、うれしかったんですけれども。料理を作ることと、建築を作るということは、空間的スケール的には大分違いますが、私は共通しているところが大いにあると思っています。食べたり飲んだりする場所が、また建築を豊かにしてくれます。そういう思いがあって、こういう機会をいただけたことは本当にうれしく思っています。
(Part3 に続く)

細田雅春
Masaharu Hosoda
建築家/株式会社佐藤総合計画代表取締役社長。1941年東京都生まれ。日本大学理工学部建築学科卒業 公益社団法人日本建築家協会会員 元一般社団法人日本建築学会副会長。代表作品:秋川きららホール(1989年竣工、BCS賞)、東京国際展示場「東京ビッグサイト」(1995年竣工、BCS賞)、広州市国際会議展覧中心(2002年竣工、詹天佑土木工程大奨、全中国十大建設科技成就)、神奈川県立近代美術館 葉山(2003年竣工、公共建築賞)など。著書『: 建築へ(』INAX出版)、『建築へ02、『建築へ03 バリュー流動化社会』、『文脈を探る どこへ行く現代社会』、『界面をとく 現代建築のゆくえ』、『生む Re-Birth』、『棘のない薔薇』(以上日刊建設通信新聞社)

中村勝宏
Katsuhiro Nakamura
1944 年鹿児島県生まれ。高校卒業後、料理界に入る。70 年渡欧。チューリッヒの「ホテルアスコット」を皮切りに、以後14 年間にわたりフランス各地の名だたるレストランでプロの料理人として活躍する。79 年パリのレストラン「ル・ブールドネ」時代に、日本人としてはじめてミシュランの1 つ星を獲得。84 年に帰国。ホテルエドモント(現ホテルメトロポリタン エドモント)の開業とともにレストラン統括料理長となる。2003 年フランス共和国より農事功労章シュヴァリエ叙勲。08 年の北海道洞爺湖サミットでは、総料理長としてすべての料理を指揮統括する。10 年フランス共和国の農事功労章オフィシエ叙勲。13 年日本ホテル㈱取締役統括名誉総料理長に就任。15 年クルーズトレイン「TRAINSUITE(トランスイート)四季島」の料理監修。16 年フランス共和国農事功労章の最高位「コマンドゥール」を受章。2018 年日本ホテル株式会社 特別顧問統括名誉総料理長に就任。

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