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第9 回 Part1 中村勝宏プレゼンツ ~美味探求~ 

第9 回 Part1  日本ホテル株式会社  特別顧問統括名誉総料理長 中村 勝宏 氏 × エディション・コウジ シモムラ  下村 浩司 氏

【週刊ホテルレストラン2019年04月26日号】
2019年04月26日(金)
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日本ホテル株式会社  特別顧問統括名誉総料理長  中村 勝宏 氏
日本ホテル株式会社  特別顧問統括名誉総料理長  中村 勝宏 氏
エディション・コウジ シモムラ  下村 浩司 氏
エディション・コウジ シモムラ  下村 浩司 氏

はじめに
十六名の食のエキスパートと対談をした前回に続く第二弾として、新しい視野の元、敬愛する方々との対談を行なっていく本連載。第9 回の今回はレストラン エディション コウジ シモムラの下村浩司氏にご登場頂いた。

 
料理上手な母の影響で
輝かしい美食の世界へ導かれる
 
中村
 まず下村さんが、なぜ料理人になったのかを聞かせてもらえますか。
 
下村 実家はもともと茨城で百貨店を経営しておりまして、幼いころから両親が共働きのため、家事はお手伝いさんがいたんです。その方も料理がうまかったんですが、なによりも、うちの母親が料理上手でした。例えば休みのときに自宅で料理を作ってそれを近所に配り、時には母親が講師になり近所のおばさんたちが学びに来ていたぐらいでした。僕は必ずその傍にいました。また、家族でどこかに食べに行ったとき、おいしければその料理を母親が家で再現してくれてました。
 
中村 ではこの道に入ったきっかけは、お母さんの影響ですね。
 
下村 そうです。しかし、長年働かれていたお手伝いさんが引退され、新たな60歳くらいの2 人目のお手伝いさんが作ってくれる常に茶色い料理が、僕には合わなくて。
 
中村 田舎料理の煮付けが多かったんだ。
 
下村 そうそう。おしょうゆで煮付けた料理がほとんどでした。決してまずい訳ではないのですが、私たち小学生の子供の嗜好に沿った料理ではなかったのですね。
 
中村 毎日、日本酒と合いそうな大人の料理ばかりではちょっとかわいそうだったね。
 
下村 当時、母親は30 代でしたので、おやつでフレンチトーストなどを作ってくれていましたので、そういった渋い料理が嫌いになり、小学4 年のころから妹の分も含めて、できるだけ自分で料理を作るようにしていました。小学校5 年から家庭科が始まり、先生が僕の料理上手を褒めてくれ、時にはオムライスやポテトフライの二度揚げなどの料理のデモンストレーションの講師を担当させてもらいました(笑)。
 
中村 そりゃあ大したものです。すでに小学5 年生にして自ら料理人の道へのレールを敷いたわけです。
 
下村 ただ、僕は長男ですから、周りの大人たちからは家業を継ぐんでしょう! と言われていました。でもなんとなく自分が好きなものをやりたい、たとえ料理でも家を継ぐにしても、自分で判断すべきだと子供ながら考えていたんです。
 
中村 そうですか、そこまで考えていたとは。えらい早熟な子供でしたね。そういうときを経て、それじゃあ実際に料理人になろうという確たる思いをしはじめたのはいつのころから?
 
下村 そこはやはり、僕たちの世代で言うと「料理天国」という料理番組でした。
 
中村 その番組は私は知らないんだよ。すでにフランスでのたうち回っていたころですから。
 
下村 確か、中学校くらいからだと思うんですけど、その番組で、僕が初めて見た世界っていうのは、フランスの豪華な現実離れした輝かしい美食の世界をその番組で紹介してたわけですよ。辻調の小川先生、水野先生、あとは辻校長などのコメントでもあり、非常に刺激的な番組でした。
 
中村 映像の世界の影響はすごいものです。それはその人の人生の方向づけをする場合もあるわけですから。
 
下村 そうです。あの料理天国がフランス料理との出会いでした。そして必然的に辻調に行くわけです。
 
中村 辻調では貴重な多くの人材を育ててもらっています。やはり先生方や校長のポリシーだろうね。それでそこからフランス校に行ったわけ?
 
下村 いや、残念ながらそのときは行ってないんですよ。なぜかと言いますと、フランス料理を地元、茨城でというのは現実的じゃないということに気づき、考えてしまいました。学校ではフランス料理とイタリア料理の専攻科があって、学校を卒業と同時に、東京のイタリア料理店に勤めたんです。茨城ではフランス料理は成り立たない。また、フランス料理は選ばれた一部の人がやる料理だと思っていましたから。
 
中村 ま、それは完全なる勘違いなんだけど、でも当時はそういう思いに至ることはよく理解できます。
 
下村 はい。当時はそういう感じでした。ですから、そういう意味でイタリア料理に入ったんですが、先輩方に教わるとすぐにできてしまう。自画自賛で申し訳ないのですが、時には辻調で学んだ料理レシピを再現すると本当においしいものができてしまい、店のコースに採用されたりもしていました。
 
中村 もうそのころから自分を褒めることをやってたわけだ(笑)。
 
下村 はい(笑)。しかし、先輩方々から褒められることよりも自身のクオリティーを上げなければ、そういうふうに考えていました。そうした中で、大きな変化があったのは、夏休みに関西に遊びに行ったときでした。 かつての辻調の同寮の友人の働く神戸のフランス料理店「ラ・ターブル」で食べたリ・ド・ヴォーのフリカッセ ポルトソースが本当においしかったのです。そのとき、自分の“学ぶべき料理はフランシス料理”だと強く思ったわけです。
 

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