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第二十二回 連載 もてなしだけではもう食えない 立教大学 ビジネスデザイン研究科 特任教授 沢柳 知彦

連載 もてなしだけではもう食えない 第22回 エピローグ(2)

【週刊ホテルレストラン2021年04月16日号】
2021年05月17日(月)
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(前回までのあらすじ)
SPCMからの買収の危機、帝国生命からの賃貸借契約満了による追い出しの危機などを乗り越えたホテルメガロポリス東京。関係者は、未来に向け変わらず歩き続ける。
 

---
 
そのころ、経営企画室唯一の専属平社員、森本玲奈はホテルの施設管理部長・本宮淳司とホテル地下2階の機械室にいた。彼女のショルダーバッグには、フクロウの刺繍が施されたお守りがぶら下がっていた。

「森本ちゃん、お守りかわいいね。それ、御嶽神社のだろ? うちのホテルであそこに行ったことある人あんまりいないんだよね。でも俺は、毎年あそこに初詣に行ってホテルの安全を祈願しているんだ。」

「そうなんですね。わたし、初詣には行きそびれたんですけど、花森さんが買ってきてくれて。」

「そう。フクロウは『不苦労』、苦労しない、に通じるらしいけど、なんか苦労ばっかだよな、俺たち。一体、どこまでご利益あるんだか。」
 
これまでの事情を知らない本宮がぶつぶつと不満を述べる。
 
「そんなことないですよ、霊験あらたかです! うちのホテル、守られてますって。それより、さっきのお話なんですが、設備類には今のところ特に異常はなく、長期修繕計画に従って更新投資をしていけばよいと。本当に不具合はないですか? 予算がつくかどうかはともかく、向こう10年間でどのくらいの設備更新投資が必要なのか、経営企画室としてはできるだけ正確に把握しておきたいので。」

「いや、長期修繕計画通りでいいと思うよ。だいたい、ほとんどの設備は帝国生命が持っている。大規模な更新投資するのは帝国生命の方だ。まあ、強いて言うと…」

「強いて言うと、何ですか?」

「寒暖の変わり目に宿泊客から空調に関する苦情が多い。これは全館一斉に冷房か暖房に切り替える、2管式という空調システムを使っている以上仕方ないことなんだけど。例えば梅雨の時期、肌寒いと感じる人もいれば、暑いと感じる人もいるよね。でも、ホテルとしては冷房か暖房のどちらかを選ばざるを得ない。」

「そのコンプレイン(客の苦情)、私も聞いたことがあります。今回の契約更新のタイミングで帝国生命にお願いして、各部屋ごとに冷暖が切り替えられるような空調システムに入れ替えてもらえばいいんじゃないですか?」

「そんな簡単な話じゃないよ。まず、投資金額がでかい。たかが空調システムと思うなかれ、数億円単位のカネがかかる。それと、ホテル営業を何週間も休止して工事する必要がある。その間のホテル売上の機会損失がでかい。あと、4菅式にするには各部屋のパイプスペースを大きくする必要があるけど、その分、客室が狭くなる。そりゃ、全館閉鎖の大規模改修工事はいつかはやらなきゃいけないけど、今じゃない。まあ、そのときまでは見送りだ。」

「なるほど、設備の不具合ではないけど、設備のスペックが時代の要請に合わなくなってくることがある、ってことですね。花森さんには情報として報告しておきます。では、本日はありがとうございました。」

「ああ。とにかく、これからも帝国生命がきちんと設備投資してくれるよう、しっかり交渉しておいてくれよな。」

「はい。花森さんに伝えておきます。」
 
地下二階から地下一階にあがるバックオフィスの無機質な階段を昇りながら、森本はそっとフクロウの身代わり守に触れた。
 
「花森さん、契約更新の交渉、がんばってくださいね。」
 
*****
 
そのころ経営企画室長花森心平は、帝国生命との契約更新交渉の戦略打ち合わせのため、丸の内にある中島小野常石法律事務所に来ていた。アポイントメントの時間よりも少し早く到着してしまったため、会議室に通されるまでの間、花森はロビーのソファに座りながら窓の外を眺めることにした。本来は財務部長の近藤も同席するはずだったのだが、急に出向元の銀行に呼ばれたとのことで、遅れて参加することになっている。皇居を見下ろすレセプションからの眺望は圧巻で、ここにレストランを作ったら毎日満席だな、と花森は思う。もっとも、ここはどんな高級レストランのコース料理よりも高い時給を請求する弁護士がいるファームである。そこに何があると便利か、ではない。そこでどんなビジネスをしたら一番儲かるか、でビルの用途は決まる、と辻田は言っていた。ここでは、レストランではなく、弁護士事務所が一番儲かる、ということなのだろう。花森のホテルも、他の用途に負けないような収益性を目指さなければならない。

38条2項書面がないことから当該賃貸借契約書における定期借家特約が無効であり、普通借家としての契約期間更新を申し入れたホテルメガロポリス側の通知に対し、帝国生命担当者は当初大慌てだった。会社内では定期借家という説明を引き継いできたのであろう。だが、中島小野の中田弁護士が起草したホテルからの通知書があまりにも理路整然としており、先方の戦意はすぐに失われた。帝国生命側でもさっそく弁護士確認を行なったのか、以後の交渉の争点は更新後の契約期間、賃料水準、賃料増額を認めるにあたっての賃貸人による設備更新投資などに集約していった。

思えば、この一年間はあっという間に過ぎた。その間、これまであまり考えずにいた「ホテル経営で収益を上げるとはどういうことか」について、いやというほど考えさせられ、それに必要な考え方、辻田の言葉を借りればフレームワーク、を学んできた。これまでだってビジネス書を読んだりセミナーに出席したりして経営学の一端を学んできたつもりだったが、いざ当事者として実践することになると自分の理解が如何に中途半端であったかを痛感する。一方、フレームワークを理解し実践することは楽しくもあった。大学卒業後15年で初めて勉強がおもしろいと感じた。そんな中、帝国生命との契約がどうなるか次第では来月以降自分自身の仕事がどうなるかまったくわからない状態であったにも関わらず、花森はこの4月から立身大学のMBAコース、通称、立身ビジネススクールに入学することになっていた。辻田の所属する経営学部の運営である。社会人でも単位が取れるように講義は平日の夜間と土曜日に開講される。職場から徒歩で通えるし、これなら、多少仕事が忙しくても両立できるだろう。花森は財津にその意向を伝え、財津からは推薦状を取り付けた。さらに、あのけちな豊島社長が多少なりとも奨学金も出してくれることになった。一方、大学側の入学審査はというと、辻田の口利きでどうにかなるものではなかったが、先般めでたく入学許可が出たところだ。

花森のビジネススクール入学にあたり、辻田はこんなことを言っていた。
 
「花森君。欧米ではMBAを取得すると給料が上がったり会社での役職が厚遇されたりすることが多い。だから、できるだけいい大学のMBAを取得することに躍起になる。だが、日本の企業は年功序列制度が色濃く残っていて、修士の肩書は役職・給与水準にあまり影響しない。だから、出世のためにMBAを取得する、という目的意識ではダメだ。あくまでも、経営理論を身につけること、そしてそれをどこでも実践できるようにすること、を目標にした方がいい。そして、その能力はどこにいっても役に立つものだ。それが君の資産になる。」
 
その通りだと思った。皇居ビューから視線を外し、腕時計を見る。あと、5分ほどでミーティングの時間だ。と、花森のスマートフォンが鳴った。発信元の電話番号は電話帳登録がなく、見覚えもない。応答には少し躊躇したが、面倒な話だったら掛け直せばいい、と考え直し、応答する。
 
「はい。ホテルメガロポリス、花森です。」

「ああ、お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ございません。わたくし、初めてお電話申し上げます、セントポールキャピタルマネジメントの要勝人(かなめかつと)と申します。花森さんのホテルメガロポリスにおけるご活躍の噂は部下から伺っています。さて、不躾な話で大変恐縮なのですが、この度、うちのファンドがある経営不振のホテルを買収することになりました。もちろん、メガロポリスではありません。で、花森さんには是非、当社に加わっていただき、ターンアラウンドマネジャーとして腕を振るっていただきたいのです。」
 
予期せぬことが起きると、人間、思考が停止する。花森はどんな受け答えをすべきなのか、まったく思いつかなかった。確かにSPCMの担当者とは昨年末に情報開示のやりとりを何度かしたが、要本人とは一度も話をしたことがなかった。ファンドの代表から直々の電話とは。しかも、そのファンドへの転職の誘いである。
 
「あ、あの、申し訳ございませんが、これから会議なので…。」

「あ、大変失礼致しました。本日は取り急ぎ、ご挨拶まで。後日改めまして、うちの担当者から当社の業務案内を送らせていただきます。また、追ってご連絡差し上げます。」
 
皇居の景色を眺め、心が平穏になっていたところに、突然、大きな波風を立てられた気がする。これから、弁護士との大事な打ち合わせなのに、集中できるだろうか。あの電話ですぐ断ればよかったのに、なぜ断らなかったのだろう? 心のどこかで、ファンドで働くことに興味を持っているのだろうか? そもそも、1年やそこらホテルの経営改善に関わった程度の人間が、投資ファンドの役に立つのだろうか? 要のイメージも変わった。直接話すまでは、投資ファンド=悪者、のイメージしかなかったが、電話応対は極めて紳士的で、それでいて押しが強い。まだ会ったことはないが、ファンドの裏にいる投資家からの信頼が厚い人間なはずだ。きっと魅力的な人なのだろう。
 
「花森様。ホテルメガロポリスの花森様。」
 
受付の女性が自分を呼んでいる。花森は我に返り、両頬を平手でパン、と叩いて、立ち上がった。まずは、目の前の帝国生命との合意書を何とかしなければ。
 
*****
 
花森が弁護士と会議室にこもって帝国生命との賃貸借契約更新交渉戦略を協議しているころ、立身大学経営学部特任准教授・辻田健太郎の研究室には、誰もいなかった。辻田はつい先ほどまでデスクで仕事をしていたらしく、PCの電源は入ったままだ。机には空のコーヒーカップがあり、どうやらコーヒーを買いにいったようである。

PCの画面には、読みかけのメールが開かれていた。差出人は、令和学院大学観光学部長 岡村雅夫、とある。
 
「辻田先生、ご無沙汰しております。いろいろとご活躍のご様子、何よりです。当方は立身大学を辞して早2年、ようやく令和学院大学所属の意識が根付いてきた気が致します。
さて、先生は立身大学特任准教授となられ、今年で5年目と記憶しております。以前から御学の規則が変わっていなければ、特任の任期は今年で最後、期間延長もないとの認識です。もし、来年度以降のご予定がまだ決まっていらっしゃらないのであれば、是非本学に移籍されることをご検討いただけないでしょうか。
実は我々の観光学部でも再来年度から修士課程を新設することになりました。もちろん、文部科学省の認可待ちですが、今のところ予定通り開設できる見込みです。多くの教員が学部との兼務となりますが、先生には実業界でのご経験を活かし、ケーススタディ中心のクラス運営を担っていただきたいと考えております。特任ではなく、パーマネントなポストをご用意する所存です。
もし、ご興味を持っていただけるということであれば、一度是非直接会ってお話をさせていただけないでしょうか。来週以降でご都合のよろしい日時をいくつかいただければ、当方で調整のうえ、研究室までお伺いします。
ご連絡、お待ち申し上げます。
令和学院大学観光学部長 岡村雅夫
P.S. 学食では相変わらずカツカレーばかり食べていらっしゃいますか? 本学の学食には三元豚のとんかつにブラックカレーをかけた本格的なかつカレーがあります。是非一度、ご賞味ください。」
 
辻田はまだ研究室に戻ってこない。突然、メールソフトと同時に開けてあるブラウザ上の経済ニュースサイトがアップデートされた。速報のヘッドラインはこう読める。
 
「帝国生命、外債投資失敗により巨額損失計上へ」
 
ニュース記事はこう続いていた。
 
「1990年代に一度破綻し、その後米国プレジデンシーグループの傘下に入り経営再建を果たした中堅生命保険会社の帝国生命が、今期決算で巨額の損失を計上することが関係者の話から明らかになった。運用能力が他社比劣る同社がここ数年重点的に行なってきたブラジル、トルコ、南アフリカなどの高利回り外国債券投資は、ここまで同社の運用成績を支えてきたと言える。しかし、先日来のヨーロッパ金融不安がこれら高金利国へも波及した結果、債券価格が下落するとともに為替が暴落し、帝国生命において巨額損失計上が避けられない事態となった模様だ。同社は含み益の実現化と流動性確保の観点から、簿価の低い不動産の売却に踏み切るとの観測が流れている。」
 
辻田はまだ戻ってこない。研究室の電話が鳴った。6,7回ほどコールしたのち、発信人は誰も応答しないことにあきらめたのか、電話器は静かになった。ほどなく、「ポーン」と音がしてPC上のメールソフトに新着メールが届く。差出人は豊島興産社長・豊島吾郎。但し、豊島自身はPCが苦手なので、いつも秘書が代筆している。タイトルは「ホテルメガロポリス不動産買戻しについて」。

辻田はまだ戻ってこない。少し西に傾いてきてはいるが、相変わらず柔らかい春の日差しが窓から差し、誰もいない研究室を照らしていた。

 
(完)



【あとがき】

これまで半年間の長きに亘り、本連載にお付き合いをいただいた読者の皆様、ご愛読ありがとうございました。また、本企画にご賛同を頂き貴重な誌面をご提供いただきましたオータパブリケイションズの岩本さん、そしてこの小説の主人公・花森心平のプロフィールを自著『リベンジ・ホテル』から引用することをご快諾いただいた小説家の江上剛先生にも厚く御礼申し上げます。
 小職が20年間携わってきたホテル開発・投資の現場では、ホテル運営現場で働く方と投資家の間に厳然たる(経営学やファイナンスなどの)知識の格差が存在し、それがそれぞれが計上する利益や賃金の格差になっていると感じました。一方で、小職の知る限り、日本の経営環境に合わせてホテル経営学を体系的に網羅した教科書は存在せず、米国製造業を主題に発達してきたMBAの教科書を読んでもピンとこないことも多いと思われます。本作はそれらの不満を解消すべく執筆されました。小説の執筆は素人故、所期の目的が達せられたかどうかは疑問ですが、これを機に「おもてなし」だけではない、日本の経営風土に沿ったホテル経営学の体系化が進むことを期待しております。
 最後に、本連載は奇しくもコロナ禍がホテル業界を未曾有の危機に陥れるタイミングに重なりました。残念ながら、本業界に効く特効薬はありません。人間の感染症対策と同様、経営課題の本質をブレークダウンして、一つ一つ課題解決にあたるしか手はありません。本作がその一助となれば幸いです。
 

立教大学 ビジネスデザイン研究科 特任教授 沢柳 知彦



 

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