JR九州ホテルズアンドリゾーツが運営する「別府温泉 ―竹と椿のお宿― 花べっぷ」が2026年3月6日、リニューアルオープンした。今回の刷新は、施設の印象を新しくするためだけの改装ではない。温泉旅館を取り巻く競争環境の変化、夕食喫食率の低下、人手不足、および顧客ニーズの多様化といった業界課題に対し、「お客さまのペースで過ごす」という新しい滞在価値で応えようとする経営施策である。政木支配人への取材から見えてきたのは、花べっぷが「旅館らしさを守る」のではなく、「旅館らしさを更新する」ことに挑んでいる姿だった。
再生の歴史が育てた「花べっぷ」らしさ
花べっぷの現在地を理解するには、まずこの宿の出発点を押さえる必要がある。もともと同施設は国鉄時代の保養所であり、宴会主体の古い施設だった。経営的にも厳しい状況にあった施設を打破するため、2012年に一般客向けの宿として再生したのが「花べっぷ」の始まりである。その再出発は、決して恵まれた条件のもとで始まったわけではなかった。別府という温泉地にありながら、圧倒的な景観を持つわけでもなく、強い観光装置を備えた施設でもない。いわば「ないない尽くし」の中で、どう存在感をつくるかが問われていた。
そこで花べっぷが磨いてきたのが、女性目線で設計した、あたたかく居心地の良い宿という価値である。別府竹細工を生かした空間づくり、地のものを取り入れた料理、そして“ふんわり やさしい”空気感。派手なハードで勝負するのではなく、しつらえと体験の質で選ばれる宿を目指してきた。その蓄積が、今回のリニューアルの土台になっている。
政木支配人も、この宿の原点について
「温泉も景観もない、いわゆる“ないない尽くし”の宿だったんです。だからこそ、女性目線で“お気に入りのゲストハウス”のような、あたたかい宿を目指しました」と語った。
「お客さまのペース」が新しい滞在価値になる
今回のリニューアルで花べっぷが掲げたテーマは、「お客さまのペースで過ごしていただく」というものだった。従来の旅館は、宿側が時間の流れを整え、一定の型の中で心地良さを提供することを得意としてきた。一方で今は、旅の目的も同行者も過ごし方も一様ではない。だからこそ、一律のもてなしではなく、お客さま自身が滞在を編集できる余白が求められている。
花べっぷが今回新設したオールインクルーシブラウンジ「一福」は、その考え方を象徴する存在だ。従来、旅館滞在の満足度は夕食と朝食という二つのピークに集中しがちだった。しかし同館は、その間の時間にも新たな魅力を生み出そうとした。書籍、キッズスペース、竹細工のテントなどを設け、30〜40代女性という中心顧客だけでなく、その同伴者であるパートナー、子供、親世代までが、それぞれの時間を過ごせる空間を設計している。
この発想は、単なる無料サービスの拡充とは異なる。オールインクルーシブという仕組み自体は珍しくなくなった今、重要なのは、その宿らしい意味を持たせられるかどうかである。花べっぷでは、滞在中の“空白時間”を“価値ある時間”へと転換しようとしている。景観や巨大な付帯施設に頼れない宿にとって、この時間設計の巧拙は大きな差となって表れるはずだ。
政木支配人は、その狙いをこう表現した。
「夕食と朝食だけではなく、その間の時間に新しい価値をつくりたかったんです。言わば第三のピークをつくるイメージですね」。
さらに客室体験の見直しも、この流れの中にある。特別な飲み物やお菓子、アメニティーを用意し、温泉や食事以外の時間にも小さな高揚感をつくる。これまで“暇な時間”になりがちだった客室滞在を、印象に残る時間へ変える発想だ。旅館の価値を、温泉と料理だけで完結させない。その姿勢は、今後の中規模旅館にとって大きな示唆になるだろう。
料飲改革に見る、旅館の現実解
今回の取材で、業界的にとりわけ示唆が大きいと感じたのが料飲部門の再設計である。ここ1〜2年、花べっぷでは夕食喫食率が低下傾向にあるという。もっとも、これは花べっぷ一館の問題ではない。インバウンドの増加や旅行者の行動変化により、宿泊と食事の分離は地方観光地でも進みつつある。
花べっぷが興味深いのは、その変化を単なる逆風として捉えていない点だ。別府の街を歩き、地域の飲食店を楽しんでもらうこともまた、宿泊体験の一部と考えている。館内完結型に固執せず、地域との接点まで含めて滞在価値を考える視点は、これからの観光地型宿泊施設に欠かせない。
一方で、館内で食事を選ぶお客さまに対しては、従来の会席料理を見直し、体験価値を加えた新たなスタイルへと転換した。ポーションや品数を調整しながら低オペレーション化を図り、お客さま自身が手を動かして楽しめる要素を加える。つまり、人手を減らしながら、満足度を下げないどころか、印象に残る体験へと組み直しているのである。
ここに、今のホテル・旅館業界が学ぶべき現実解がある。人手不足が深刻化する中で、従来と同じ手数を掛け続けることには限界がある。必要なのは、人数を増やすことではなく、体験価値をどう設計し直すかである。サービスの質は手間の総量だけで決まるのではない。限られた人員で、どれだけ納得感のある時間をつくれるか。その発想への転換が、今まさに求められている。
KPIはレピュテーションと収益性
今回のリニューアルを何によって評価するのか。その点について政木支配人は、まずレピュテーションと販売実績を見ながら、最終的には収益性で判断していく考えを明確に示した。これは極めてまっとうで、同時に重要な視点である。改装は華やかな話題になりやすいが、本来問われるべきは、その投資がお客さまにどう評価され、どのような収益改善につながるかだからだ。
「最終的なKPIはやはり収益性です。ただ、今はまず投資に対してお客さまが本当に求めているものを提供できているのか、その答え合わせの段階だと思っています」。
加えて、口コミを一つひとつ確認し、フィードバックを通じて改善につなげているという運営姿勢も印象的だった。 改装を一過性のイベントで終わらせず、レピュテーションを経営指標として活用しながら磨き上げていく。この地道な運営こそが、投資の成果を本物にしていく。
人材力の底上げと持続可能な宿づくり
今回の取材では、人材面での変化も見逃せなかった。2024年10月のJR九州グループ内の会社統合により、グローバル展開する外資系ホテルや日本の老舗ブランドなどで経験を積んだ人材が加わり、料飲やブランド運営に関する知見が組織内に蓄積されてきたという。人事交流も進み、ケイパビリティーは確実に厚みを増している。
加えて、働きやすさという点でも、一定の成果が見え始めている。統合以降、離職率が大きく低下したという話は、JR九州ホテルズアンドリゾーツの取り組みが単なるサービス刷新にとどまらず、持続可能な運営基盤づくりにもつながっていることを示している。
ホスピタリティー産業において、スタッフの幸福とお客さまの満足は切り離せない。現場が疲弊していては、どれほど立派なコンセプトも長くは続かない。だからこそ、花べっぷが“ふんわり やさしい”という価値観を、お客さまだけでなく、スタッフや地域、取引先との関係にまで広げて捉えている点は重要だ。
旅館らしさを守るのではなく、更新する
今回の取材を通じて私が強く感じたのは、花べっぷのリニューアルが、豪華さを競うための投資ではなく、滞在価値と持続可能な運営を両立させるための投資だということである。開業以来の“ふんわり やさしい”価値観を守りながら、「お客さまのペースで過ごす」という今の時代に合った自由度を加える。その上で、顧客、地域、スタッフ、取引先のすべてとより良い関係を築きながら、適正な価格で評価される宿を目指す。この姿勢は、いま多くの温泉旅館が向き合うべき課題に対する、非常に実務的な回答の一つだろう。
強い景観がなくても、圧倒的なハードがなくても、宿は選ばれる。必要なのは、価値を磨く視点と、それを支える運営の思想である。花べっぷの今回の刷新は、そのことを改めて業界に示している。
JR九州ホテルズアンドリゾーツ㈱
別府温泉 -竹と椿のお宿- 花べっぷ 支配人
政木 敦憲(まさき あつのり)
熊本県出身。大学卒業後、2016年に九州旅客鉄道㈱に入社。事業開発部門にて飲食店運営などを経験し、2019年よりホテルキャリアをスタート。JR九州グループのホテル・旅館開発および運営に携わる。2025年に花べっぷの支配人に就任、現在に至る。




