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【IR】インタビュー  成駒屋 六代目  中村児太郎氏 

「歌舞伎を観てみよう」と世界中の人々が思える潮流を創っていきたい

2017年12月08日(金)
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日本が誇る伝統芸能、歌舞伎。六代目中村児太郎氏は次世代を担う若き女形として、歌舞伎の道を歩み続けている。「歌舞伎の本質である古典を、時代とともに新しい歌舞伎役者が演じるからこそ面白い」と言う児太郎氏は、東京オリンピック・パラリンピックという国際的なビッグイベント、そして来たるべき日本版IRの誕生といった契機に合わせて、世界中の人々に向けて歌舞伎の魅力を強く発信する形についても模索を続ける。現代を生きる人々にも通じる「古き良き和の心」を伝える歌舞伎役者の声を聞く。

成駒屋 六代目
中村児太郎氏
Kotaro Nakamura

1993 年12 月23 日九代目中村福助の長男として生まれる。祖父は七代目中村芝翫。99 年11 月歌舞伎座「壷坂霊験記」(観世音)にて初お目見得。2000 年9月歌舞伎座「京鹿子娘道成寺」(所化)・「菊晴勢若駒」(春駒の童)にて六代目中村児太郎を襲名し初舞台。13 年9月父の七代目中村歌右衛門の襲名に伴い、十代目中村福助の襲名が発表されたが、病気療養中の父の回復を待ち保留している。


幼少期は歌舞伎座が遊び場だった
立女形を目指し肚芸を追い求める

□歌舞伎役者として、これまでの人生をどのようなお気持ちで過ごしてきましたか。


 歌舞伎役者の家に生まれた幼少期の私にとって、歌舞伎座は遊び場でした。役者の先輩方もスタッフの方々も、子どもころから見てきた人たちという感じです。大間(歌舞伎座のロビーのこと)ではしゃぐ幼い私と遊んでくださるスタッフの皆さんとの思い出がありますし、道具や幕を一緒に扱わせてもらったこともありました。役者の先輩方と楽屋で遊んでいただくこともしょっちゅうありました。

 舞台袖で先輩に刀を渡す段取りをいただくこともあって、子ども心に渡し方を工夫した記憶もあります。祖父も父も女形ですから、台本の相手をしていると聞こえてくるのは女形のセリフです。歌舞伎座の舞台を観に行ったときに、自分が相手をしたセリフだと気づき共感した体験を鮮明に憶えています。

 こうした環境で育ちましたから、大きくなったら歌舞伎を演じることになるのだろうとずっと思っていました。高校生、大学生になって進路を決める時期が来ても、歌舞伎以外に選択肢はないと思っていました。高校まではラグビーに打ち込んでいたのですが、高校卒業後はしっかりと芝居に取り組まなければならないと自覚していました。

□歌舞伎役者としての方向性をどのように思い描いていますか。

 私の家は成駒屋ですがかつて六代目歌右衛門が出した「女形の型」という本があります。私が役を演じる上での支えになっています。この本は五代目中村歌右衛門という人が、どういう考えや思いで役を演じたかをまとめている本です。

 しかし演じる上で最も大切なのはおそらく心です。だからこそ「肚芸」という言葉が生まれたのだと思います。

 歌舞伎には型というものがあり、今でも私たちはその型を継承しながら舞台を務めさせていただいております。型の継承においては「この文脈(役)にはこのような肚があり、こういった思い入れがあるから、このようなセリフになるのだ」といったことが事細かに決められているのです。現代社会では現実として捉えることができない話であっても、ずっと昔の時代においては当たり前の話であり、それは今のお客さまにとっても古き良き和の心として通じる部分があるのだと信じています。

 うわべだけを掬ってみても、いい作品を生み出すことはできません。芸の性根である肚を大事にしながら、演じていかなければならないのです。同じ型をしていても、そこから派生していくものはものすごくあります。しかしどこまで行っても通ずるところは一つなので、性根がないままにうわべだけをなぞっていくと、真似事の芝居になってしまうのだと思っております。先輩が築いてきたものを受け継ぎ、つなげていけるように精進しなければと思っています。

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