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海外からのメッセージ ケンピンスキーホテルズ アメリカ大陸 最高執行責任者(COO) ザビエル・デストリバッツ氏

長い歴史と伝統を重んじつつ、大胆な野心を持ち成長し続ける

2024年03月29日(金)
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 HOTERESの月刊化、そしてこの2月に創業70周年を迎える小社に対し、海外のトップホテル企業はじめ世界で活躍する諸氏からさまざまなメッセージが寄せられている。本編では2カ月間にわたり海外から寄せられたメッセージを紹介する。

1897年の創業。127年におよぶ歴史
 
 まずはHOTERESの月刊化、そしてオータパブリケイションズの70周年おめでとうございます。グランド ハイアット 東京の初代総支配人としての開業時、そしてその後の日本での勤務時代に代表の太田進氏はじめHOTERESのチームの皆さまに多大なるサポートをいただいた分、新たな一歩を踏み出されたことを心から嬉しく思うと共に、お祝いいたします。
1897年にドイツで創業されたケンピンスキーは、長い歴史の中で常にラグジュアリーなサービスはもちろん、クラシカルなサービスの精神は忘れないながらも変化し続ける時代の中で、ファッションやデザインのトレンドに歩調を合わせながら時代を超えて進化をし続けてきました。

 20世紀初頭の経営者、ベルトルト・ケンピンスキーは彼が経営するレストランにおいて最高級の季節に合った食材の料理を提供することはもちろん、それらの味を引き出すためのワインを日替わりで提供するという当時としては斬新なスタイルをさまざま取り入れるなど、心のこもった演出贅沢な演出でゲストを喜ばせ続けました。

 そうした取り組みの継続が評判となり、ケンピンスキーの経営するレストランは常に社交の拠点であり続けました。その結果レストランは徐々にその規模を拡大し、当時、ライプツィガー・シュトラーセ25番地にあったケンピンスキーのレストランは時の皇帝であったカイザー・ヴィルヘルム2世が落成式を行なった豪華な皇帝の間など、エレガントなダイニング・ホールがいくつも設けられました。

 ケンピンスキーはホテル事業に参入したのは1961年です。クアフュルステンダム27番地のケンピンスキー・レストランをその街で最初の新しい高級ホテルに変身させ、このホテルはたちまち流行に敏感なベルリン市民の憧れの的となりました。国家元首や著名人、アルベルト・アインシュタインのようなノーベル賞受賞者がブリストルを自宅と呼び、1963年の滞在中、ジョン・F・ケネディ米大統領がベルリンの人々に "Ich bin ein Berliner(私は一人のベルリン市民である:冷戦時代にケネディ大統領が西ドイツで行なった著名な演説の一節) "と語ったのは有名な話です。

 
伝統を重んじながらもアバンギャルド
 
 このようにドイツの最高級のホテル、レストランとして伝統を重んじながらも時代に合わせた最高級のホスピタリティーを提供していたケンピンスキーですが、同時に非常に大きな野心も持ち合わせている企業でもあります。

 1990年代初頭、中国はまだ観光のデスティネーションとしてはそれほど有名ではありませんでした。しかし、中国の将来性を見込んだケンピンスキーは1992年、北京に初のラグジュアリーホテルとなるホテルを開業します。また、同年にはロシアのモスクワにもホテルを開業しています。その後、2000年に入ると中東にも積極的に進出し、アラブ首長国連邦のアブダビやアジュマーン、ドバイ、サウジアラビア、オマーン、ヨルダン、エジプトと次々に開業しました。さらに、2010年代にはケニアに複数のホテルを、その後は大西洋を越えてキューバ、ドミニカ、メキシコと積極的に展開をし、現在35カ国に77のラグジュアリーホテルを運営するまでに成長をしてきました。

 また、サービスにおいてもさまざまな革新的なサービスを導入しており、その代表的なものは“Lady in Red”です。真っ赤なドレスに身を包んだスタッフが館内を歩き回り、さまざまな予約の手配やゲストの快適なサポートを行なう、まさに「歩くコンシェルジュ」はケンピンスキーの一つのアイコン的なサービスでもあります。

 
需要回復を謳歌するも不安要素も
 
 2023年はケンピンスキーにとって素晴らしい年となりました。多くのホテルで旅行市場回復の恩恵を受け業績は好調で、また、新規ホテルの開業やマネジメント契約の締結などポジティブなニュースも多く、定量的・定性的共に非常に好調な年となりました。

 この傾向は続くと考えていますが、不安要素もあります。中東のパレスチナ周辺の問題の見通しはまだ経っておらず、近隣の私たちのホテルも影響を受けています。そこは注視をし続ける必要があると見ています。

 
変化するホテル経営環境
 
 コロナ禍を経て私たちの業界にはさまざまな変化が生じました。まずはコロナ禍中で多くのスタッフが離れてしまったこと、そして、働き方に対する考え方が変化をしたことです。御存知の通りホテルで最も大切な資産はスタッフです。ホテルのクリエイティビティーを生み出すのはそこで働くスタッフにほかなりません。これまで以上にホテルマネジメントとスタッフとのリレーションシップの重要性が非常に増しています。

 また、ラグジュアリー領域のゲストも変化をしています。テクノロジーが進化し予約の経路も多様化しました。従来のダイレクト予約、OTAやWEB、エージェントだけでなく、SNSでの予約ができるようになりましたし、ホテルとゲストがLINEやWhatsAppでコミュニケーションが取れるようになっています。一方で、これまでと変わらないサービスを求めるゲストもいます。この多様化にホテルは柔軟に対応することが求められています。
 

世界での成長。日本への視野も
 
 これまでお話してきた通り、ケンピンスキーは長い歴史と伝統を重んじたクラシカルな精神を持ちながら時代の変化に合わせる柔軟性、そして大胆な野心を持ち合わせる唯一無二のホテル企業です。

 また、本物のラグジュアリーホテルを実現するためにハードからオペレーションまで、ディテールにも繊細な配慮を徹底するという精神を持っているのもケンピンスキーの特徴です。私たちは決して金太郎飴のようなホテルづくりはしません。

 そのような姿勢と実績をご評価いただき、多くのホテル開発の引き合いをいただいております。私が統括するアメリカ大陸だけでも今後複数の開業予定を控えておりますし、日本でもいずれホテル計画を公表できるかもしれません。

 日本で働き、そして海外からの視点からみても日本は大きなポテンシャルを持っています。独自の魅力的な文化、安心・安全な街、機能的な交通網、素晴らしい食事などさまざまなものを備えています。今後も多くの世界の人々が日本を訪れることを楽しむことでしょう。
 
 
Profile
スイスのエコール・オテリエール・ド・ローザンヌを卒業後、ハイアットブランドの南米、中東、ヨーロッパなど複数のホテルでマネジメントの経験を経て2001年4月にグランドハイアットの開業総支配人として着任。その後六本木ヒルズクラブのダイレクター・オブ・オペレーションズも兼任した。07年にパノラマ・ホスピタリティーズのシニアヴァイスプレジデントを経て11年4月にケンピンスキーホテルズに入社。ジュネーブ担当シニアヴァイスプレジデント、ヨーロッパ担当プレジデントを経て2017年2月にアメリカ大陸担当のCOOに就任。現在に至る。

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