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トップインタビュー  ㈱グリーンヒルホテル 代表取締役 浅野 充 氏

“何でも吸収してやろう”という気持ちで、朝4時から 深夜2時まで働き続けたホテルひと筋50年の人生

【月刊HOTERES 2016年04月号】
2016年04月08日(金)
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18 歳、高校3 年生の春、厳格な銀行マンの父親から飛び出した“出ていけぇ”の一言から、50 年のホテル人生が始まったのが㈱グリーンヒルホテルの浅野充社長だ。学生時代のインターンからがむしゃらに働き続けてきた。今でも朝食の準備が始まる朝4 時には出勤しているという。50 年生き抜いてきたホテル人生をお伺いした。


㈱グリーンヒルホテル 代表取締役 浅野 充 氏

人生を変えたアルバイト先の
うどん屋のオヤジさん
 
❒50 年、ホテルひと筋の人生を歩まれ、今もなお3 事業所を運営するホテルの社長として日々葛藤されています。はじめに、なぜホテル業を選ばれたのか、教えていただけますか。
 
 銀行マンとして勤めていた父親の“出ていけぇ”の一言からです。厳格な父でしたから将来を考えたとき大学へ進学することを望んでいました。父から言われ大学はどのようなところか見学に行ったのです。すると、ときは安保の時代。構内にはバリケードがあったり、学生たちが政府に対して反発の声を上げていました。こんな物々しい環境では勉強なんかできないと思い、父が望んでいた大学へ行かないと決めました。ところが父は猛反対です。ある意味、仕方なく関西の私学2 校を受験したのです。内1 校の合格者一覧の中に番号がありました。ところが私は父に不合格だったとウソをついたのです。ところが翌日の新聞に合格者名が発表されたのです。そのとき父は私の名前を見つけたのです。“お前、親にまでウソをついて大学へ行きたくないのなら出て行けぇ”と。私は何も考えずその場で家を出て行ったのです。
 
とはいえ、まだ高校生。生活ができたのですか。
 
 数日は友人宅に転がり込んだのですが、このままでは生活ができないと思い三ノ宮の街を歩いていたとき、“アルバイト募集”を張りだしているうどん屋さんを見つけ、そのまま門戸をたたきました。仕事は皿洗い。時給は90 円でした。そこには片目をつぶしたオヤジさんがいて、アルバイトとして採用されたのです。翌日から早速、皿洗いのバイトをしたのですが、ちょっとのれんからホールの様子をのぞいたのです。するとお昼どきで店内にはお客があふれサービススタッフも慌しく注文を受けたり、配ぜんをしていました。そのとき、私自身もホールに入り手伝いをしたのです。皿洗いは食べ終わってからの仕事ですからそれまで何もすることがなかったからです。その姿をみたオヤジさんから“おまえ、ホテルに就職したらどうだ”と言われたのです。実はオヤジさん、以前はホテルのコックとして勤めていたのですが片目をつぶしてから包丁感覚がずれてしまうため、包丁を使わずにできる仕事ということでうどん屋を開業したのです。それから“おまえ、ホテルがどんなところか行って見てこい”と言われ、言ってみたのですが足がすくんでしまい結局、ホテルの中に入ることができませんでした。

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