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2022年10月28日号 トップインタビュー ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜総支配人 阿部 泰年 氏

トップインタビュー ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜総支配人 阿部 泰年 氏

【月刊HOTERES 2022年10月号】
2022年10月27日(木)
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日本のコンシェルジュの社会的地位をヨーロッパのレベルまで引き上げたかった

----阿部さんのバックグラウンドを教えてください。

 横浜生まれ、横浜育ちの私はずっと横浜の町が大好きで、今でも横浜で暮らしています。大学卒業後すぐに、パンパシフィックホテル横浜(現横浜ベイホテル東急)の開業に携わったのが、ホテルマンとしてのキャリアのスタートでした。ドアマンを務めた後、フィリピンのパンパシフィックホテルマニラで 1年間、バトラーサービスの勉強をさせていただきました。
 
 横浜に帰ってからはクラブフロアの立ち上げに携わりましたが、非常に面白かったですね。1つのものをゼロから創り上げる楽しさを学びつつ、フィリピンで学んだバトラーサービスをクラブフロアに入れ込みたいと考えました。
 
 ただ、5年後、10年後のキャリアを考えたときに、東京のホテルを知っておく必要があるという気持ちを持つようにもなりました。そのタイミングで東京・汐留のコンラッド東京からお誘いをいただき、コンシェルジュとして移ることにしました。
 
 9年間勤めたところで、マンダリンオリエンタル東京からお誘いがありました。私としてもさらにクオリティーの高い都内の外資系ホテルで学びたいという気持ちがありましたので、移ることを決意しました。
 
 マンダリンオリエンタル東京は日本で唯一の 6スターと言われているホテルですが、圧倒的にビジネスのお客さまが多かったのです。少し経ってからアマン東京からお誘いをいただき、お客さまの属性としてレジャー利用が非常に多いという話を聞きました。ハイエンドのレジャーのお客さまをおもてなしすることで自分自身のキャリアを積み上げたいという考えのもと、アマン東京に移りました。
 
 アマン東京で何年か勤めた後、ザ・カハラ・ホテル&リゾート横浜に移ることになりました。自分を育ててくれた横浜の町に何らかの形で恩返しをしたいという気持ちが少なからずあったこともあり、お誘いを受けました。 
 
----コンシェルジュとして世界に打って出ようという考えはありましたか。

 ヨーロッパと違って、日本にはまだコンシェルジュという職業が社会的に確立していないと私は感じています。その状況を変えるために、ヨーロッパに行くのではなく、日本のコンシェルジュの社会的地位をヨーロッパのレベルまで引き上げることが私の夢になりました。
 
 自分が日本コンシェルジュ協会の会長をやらせていただくことになったとき、夢に一歩近づくことができたと思いました。コンシェルジュの世界的組織であるレ・クレドールの一員としてさまざまなチャレンジをしていきたいと考えていましたが、人生とは不思議なものでザ・カハラ・ホテル&リゾート横浜の総支配人を務めることになりました。 コンシェルジュはさまざまな景色を見続けなければならない仕事ですが、総支配人になってみるとコンシェルジュには見えない別の景色が見えるようになりました。
 
 確かに私が抱いていた 1つの夢は志半ばであきらめざるを得なくなりましたが、総支配人としての新しい夢が生まれました。ザ・カハラ・ホテル&リゾート横浜で共に仕事をしてくれている仲間たちとともに「日本一のホテル」を創り上げ、頂上からの景色を見ることができる日を迎えることが今の私の大きな夢です。

 

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