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第5回 ホテルショコラ物語 

第5回 オークラ退職後の貴重な出会い

【月刊HOTERES 2015年10月号】
2015年10月16日(金)
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函館市内に飯野智子(別名、プリティおやじ)が指揮する39 室ホテルがある。それが「ホテルショコラ函館」だ。“ ショコラ”というどことなくかわいいネーミングと反して? 総支配人として活躍している“ プリティおやじ” こと飯野智子という人物は何者かを、これまでの経歴含め、前号に引き続き、綴っていただくことにした。


 2003 年10 月で16 年間お世話になったホテルオークラを退職しました。その年の4 月に父が亡くなり、実家の事情もあり辞めることにしたのですが、自分でもオークラを辞めることになるなんて思っていませんでした。あっさり辞めたように思われている方もいらっしゃいますが、次の就職先を決めた訳でもなかったので本人としては大きな決断でした。
 
 退職後、オークラ営業職時代に担当した投資会社様に声を掛けていただき、ビジネスホテルの仕事で倉敷に行きました。オーナーチェンジをしたばかりで着任早々の支配人の補佐的役割だったのですが、自分がどういう立場で何をするのかをよく理解しないままに行ってしまい、今思うと恥ずかしい限りです。それでも一緒に仕事をしていくうちに、フロントスタッフともコミュニケーションが取れ始め稼働率も少しずつ改善されてきました。
 
 退職後最初の仕事で「オークラの」という冠を外され一個人としての自分がどこまでできるのか、初めて突きつけられた気がしました。今までは仕事であればどこに電話しても「ホテルオークラの飯野と申します」で大概の方が話を聞いてくださいましたが、〇〇の…というのがないことが日本社会において結構大変だということに辞めてから気づきました。倉敷での仕事はわずか2 カ月でしたが、今までの自分をリセットする意味で非常に大切な時間でした。
 
 その後、総務省の地域再生マネージャー事業に参画いたしました。今、ベンチャーの動きが活発なことで話題の岡山県西粟倉村とスキーで有名な長野県の白馬村とご縁があり、そこから長野県スキー連盟の講演講師など、少しずつ新しい仕事を受けるようになってきました。ホテル業務の自分が担当してきた部門については知識があっても、それを別の分野で生かすことの難しさや地方観光活性化とは何かということについて深く考えるきっかけになったと思います。

 

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