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トップインタビュー  ㈱シティホテル美濃加茂 代表取締役会長 白川観光開発㈱ 美濃白川ゴルフ倶楽部 代表取締役社長  本田敏彦 氏

地域活性化を目的に今春4月27日より2両編成の観光列車「ながら」運行  地場の食材を使ったホテルの料理提供

【月刊HOTERES 2016年04月号】
2016年04月01日(金)
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名古屋から特急で約40 分、JR 高山本線美濃太田駅南口目の前に建つのがシティホテル美濃加茂だ。高山・下呂などの観光地や犬山方面へのビジネスの拠点としてアクセスに恵まれている。その地で17 年間指揮しているのが元々は繊維会社に勤めていた本田敏彦会長だ。ホテル経営にいたった経緯や地方創生に掛けた取り組みなどをお伺いした。


㈱シティホテル美濃加茂 代表取締役会長 白川観光開発㈱ 美濃白川ゴルフ倶楽部 代表取締役社長  本田敏彦 氏

物怖じしない前向きな気持ちが
繊維分野からホテル経営者に転身
 
ホテル経営に携わる以前は繊維の分野にいらっしゃったと聞きました。なぜ、繊維からホテル業へ転進されたのですか。
 
 もともとは東レの名古屋工場にて化学繊維の原料をあつかっていましたが、経理・総務・人事の人材育成を目的とした社内大学を卒業後、先輩よりこれからは不動産事業が面白いことを聞かされ志望したことがきっかけでした。繊維業が急成長したころ、東京や大阪などに寮を建てていたのですが寮の管理・維持費の軽減や生活スタイルが変化する中、休遊地になった寮をホテルにする計画を進め、「赤坂シャンピアホテル」や「青山シャンピアホテル」という名称でホテル化を進めました。その後、山口県のある施設で経営が厳しく相談を受け、結果的にその施設を買収して経営をいたしました。そのほか、名古屋や大阪などでホテルを運営いたしました。社内大学にて総務、経理、人事を学びましたので、私は当然、人事や総務担当と思っていたのですが、元々、人と接することが好きだったことから支配人に抜擢されたことがホテル業との出会いで、かれこれ40 年となります。基本的には単身赴任です。ただ山口の施設のときだけは地域の環境から家族も連れていきました。さまざまな地域でいろいろな方と出会うことができ、人のご縁の大切さを改めて感じた次第です。
 
化学的な繊維の分野から人事、総務、経理を学び、そして最終的にはそれらの基本的な知識と本田会長自身の人との出会いによろこびを感じられる気持ちが、まさに地域に目指したホテル経営者として今日まで生き抜いています。
 
 こんなこともありました。名古屋の工場に勤めているときは寮生活をしていました。すると“ラグビー部のマネージャーにならないか”と声を掛けられたのです。もちろん、私はラグビー経験はありませんでしたが、私の性格からマネージャーに向いていると言われたのです。まったく経験のないことでしたがそれを引き受けました。それがきっかけで県の委員会とのご縁もでき、そこでの人脈も広げることができました。工場に勤めていればなかなか県の関係者と出会える機会はありませんが、ラグビーのマネージャーをお引き受けしたことで、また新たな世界を見ることができました。見聞を広げること、人脈を広げることはホテル経営者として、とても大切なことだと思います。

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