(右から順に)アジア太平洋担当シニア・バイス・プレジデント マーク・ウォン氏、最高執行責任者(COO)兼マネージングディレクター リチャード・ハイド氏 、小社編集長 義田真平
コロナ禍を経て、「ラグジュアリー」の意味は静かに、しかし大きく変わりつつある。世界650軒超の独立系小規模ホテルを束ねるスモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド(以下、SLH)は、その変化の最前線に立つ存在だ。平均客室数約50室、多くはオーナー自らが現場に立ち、ゲスト一人ひとりと向き合う。
パーソナライズ、ウェルビーイング、サステナビリティ、そして“EI(感情知能)”。いまSLHは何をラグジュアリーと定義し、日本市場をどう見ているのか。その哲学と戦略を、最高執行責任者(COO)兼マネージングディレクター リチャード・ハイド氏、アジア太平洋担当シニア・バイス・プレジデント マーク・ウォン氏に伺った。
コロナ後に再定義される「ラグジュアリー」
「ラグジュアリー」とは今、どのように再定義されつつあるのでしょうか?
パーソナライズ、ウェルビーイング、サステナビリティといった要素が強調される中で、SLHはそれをどのように捉えていますか?
まず、私たちSLHは「小規模かつ個性溢れる、ラグジュアリーブティックホテル」にこだわっているブランドです。現在、加盟ホテルの平均客室数はおよそ50室。多くの場合、オーナー自身がジェネラルマネージャーを兼ねており、「会社から派遣されたマネージャー」ではなく、「自分の家にゲストを迎えるように」お客さまと向き合っています。
コロナ禍以降、世界中の旅行者はよりプライベートで、人が密集しない環境を求めるようになりました。その中で、「本当に価値のあるラグジュアリーとは何か」が改めて問われています。
私たちにとってのラグジュアリーは、豪華さそのものではなく、一人ひとりに合わせた“体験そのもの”です。オーナーの情熱や美意識、理念が、空間やサービスの細部にまで宿っていること。そこにパーソナライズ、ウェルビーイング、そしてサステナビリティへの真摯な姿勢が加わった時、初めて本当のラグジュアリーになると考えています。
旅行者がSLHのホテルに求める「体験の質」とは何だとお考えですか?
単なる施設の豪華さを超えた“ソウルフルな滞在”のニーズについて、どう見ていますか?
現代の旅行者にとって、第一の目的は「リラックス」であることが多いと感じています。ただし、それは単にスパに行って癒される、という意味ではありません。
私たちが重視しているのは、「小さなスケールだからこそ提供できる、心の距離の近さ」です。スタッフがお客さまの表情やコンディションを読み取り、その日の気分に合う提案をしたり、さりげない会話から滞在の過ごし方を一緒にデザインしていく。そうした“感情のやり取り”から生まれるリラックスと高揚感こそ、SLHが考えるソウルフルな滞在です。
ロケーションも重要です。私たちは「人々が本当に行きたいと思う場所」に、個性的で小さなホテルを展開したいと思っています。そこで得られるのは、記号化されたラグジュアリーではなく、「その土地だからこそ味わえる時間」です。
小規模・個性・サステナビリティ──SLHの4つの柱
直近数年で、SLHが飛躍的に成長した要因は何ですか?
コレクション戦略(Finest / Considerate / Private / Wellbeing)など、差別化の要素も含めて教えてください。
成長の背景には、ブランドとして大切にしている「4つの柱」があります。
1つ目は「小規模であること」。これが、パーソナルな体験の前提条件です。
2つ目は「ラグジュアリーな体験」。ハードの豪華さ以上に、一期一会の物語を生む体験価値を重視しています。
3つ目は「個性」。オーナーの美意識やローカルカルチャーが強く反映されていることが必須です。
4つ目が「サステナビリティ」。環境配慮に加え、地域社会への貢献も含めた持続可能性を重視しています。
こうした価値観をベースに、Finest Collection、Considerate Collection(思いやりのあるコレクション)、Private Collection、Wellbeing Collectionといったコレクションを展開することで、お客さまに分かりやすい選択軸を示しつつ、それぞれのホテルの個性を引き立ててきました。コロナ以降の需要の変化と、私たちが元々大切にしてきた思想が、きれいに重なったことも、成長を後押ししています。
“大きなホテルでは得られないもの”を求めて
グローバルで650軒を超える加盟ホテルの中でも、特に注目している新規地域や動向があれば教えてください。アジアや日本市場への期待も含めてお聞かせください。
特定の地域に限定するのは難しいのですが、現在の動きとして顕著なのは中国本土です。高級ホテル開発が急速に進む中で、「小規模で個性のあるラグジュアリーブティックホテル」を求める層が明らかに増えてきています。
日本に関して言えば、旅館文化や独立系ホテルの多さという点で、非常に可能性に満ちたマーケットだと感じています。世界中のゲストが日本に強い関心を持っており、「地元の小さな宿に泊まり、その土地に触れたい」と考える方が多い。SLHの価値観と、日本のホスピタリティはとても相性が良いと思います。
世界の観光強国と比べると、日本ではグローバルオペレーターの方が料金水準が高く、独立系ホテルの方が安いケースも多い状況です。このギャップをどのように埋めていけるとお考えですか?
日本の独立系ホテルや旅館の価格が、グローバルチェーンよりも低く設定されている現状は確かにありますが、私はそれが永続的なものだとは考えていません。
日本は世界的にも“キャラクターがはっきりした国”です。海外からの旅行者は、「大きな高級ホテルに泊まりたい」というよりも、「日本らしさを感じられる場所に泊まりたい」と感じている方が多い。つまり、適切なマーケティングと情報発信、そして受け入れ体制さえ整えば、独立系ホテルがむしろ高い価値を認められ、適正以上の価格を実現していく余地は十分にあると思います。
SLHとしては、そうしたホテルが世界の富裕層とつながるための“橋”になりたいと考えています。
ホテル側から見たSLHの魅力と加盟の意義
SLHに加盟することで、ホテル側はどのような支援を受けられるのでしょうか?
マーケティング、グローバルネットワーク、リピーター獲得、SLH Clubなど具体的な支援内容を教えてください。
多くの独立系ホテルにとっての課題は、「素晴らしいプロダクトを持っているのに、世界中のゲストに知られていない」という点です。
SLHに加盟するメリットは、大きく3つあります。
1つ目は、グローバルマーケティングとブランド力です。SLHの一員となることで、世界中のトラベルエージェントやメディア、私たちが有するグローバルコミュニティに対して存在感を出すことができます。
2つ目は、ロイヤリティプログラム「SLH Club」を通じたリピーター獲得です。ブランドとしての信頼があることで、「次の旅もSLHのホテルを選びたい」と考えるお客さまを各ホテルが共有できます。
3つ目は、価格戦略のサポートです。経済環境が変化する中で、「値上げしてもお客さまが途絶えない状態」をつくるのは簡単ではありません。SLHとして、データとネットワークを活かしながら、そのお手伝いをしていきたいと考えています。
SLHでは“個性の尊重”が理念の中核にあるとのことですが、それが加盟ホテルとの関係性にどう影響していますか?
管理ではなく共創的なパートナーシップについてお聞かせください。
私たちは、加盟ホテルのオペレーションを細かく管理する立場ではありません。むしろ、「そのホテルらしさ」を最大限に引き出すことが役割だと考えています。
SLHでは、加盟ホテルを「メンバー」ではなく「ファミリー」と呼びます。それぞれのホテルが持つストーリー、オーナーの想い、地域とのつながりを尊重し、その魅力が世界に届くように支援しています。
品質を守るためにミステリーインスペクション(覆面調査)は行いますが、それは一方的なチェックではなく、「どうすればもっと良くなるか」を一緒に考えるための対話の場です。共創的なパートナーシップであることに、強いこだわりがあります。
ESG・サステナビリティと“地域との共生”
サステナブルな取り組みは、今後のホテル業界全体にどのような示唆を与えるとお考えですか?
GSTCやSDGsとの整合、ラグジュアリー×環境意識の融合について教えてください。
サステナビリティは、もはや「やるべきか、やらないべきか」という議論ではなく、「どうやって本質的に組み込むか」の段階に入っていると思います。
ラグジュアリーホテルだからこそ、お客さまの期待値は高くなります。環境負荷を減らすだけでなく、地域の自然や文化を尊重し、それを守り、次の世代につなぐ姿勢が求められます。
SLHとしても、国際的なガイドラインやフレームワークと整合しながら、各ホテルが無理なく、かつ本気でサステナブルな取り組みを進められるようサポートしています。
ESG文脈において、SLHは社会的責任(S)の部分にどのような優先度を置いていますか?
地域との関係、文化の継承、雇用創出などについてお聞かせください。
私たちが重視しているのは、「ホテルの成功が、地域の幸せにつながる状態」です。
小規模ホテルは、その土地の生産者や職人、文化と非常に近い距離で存在しています。地元のスタッフを雇用し、ローカルの食材や工芸品を取り入れ、その土地ならではの文化をゲストに伝えていく。こうした営みそのものが、社会的責任の実践であり、同時にホテルの魅力にもなります。
ラグジュアリーと社会的責任は相反するものではありません。むしろ、真にラグジュアリーであるためには、地域との健全な関係が不可欠だと考えています。
AIの時代にこそ問われる、「EI(感情知能)」と日本へのメッセージ
AI(人工知能)が急速に広がる中で、SLHが大切にしている「EI(感情知能)」とは何でしょうか?
世界は今、AIの話題で溢れています。もちろん、予約やチェックインなど、テクノロジーが効率化できる部分はたくさんありますし、それ自体は歓迎すべきことです。
しかし、ホテルにおいて本当に価値を生む瞬間は、ゲストとスタッフの間に生まれる「感情のやりとり」です。到着した時の表情から、その日の疲れ具合や気分を察すること。何気ない会話から、本当に求めている体験を汲み取ること。こうした力を、私たちは「EI(Emotional Intelligence/感情知能)」と呼んでいます。
SLHが小規模性にこだわるのも、このEIを最大限に発揮できる環境を守るためです。AIの時代だからこそ、人の感情を理解し、寄り添う力が、これまで以上にラグジュアリーの核心になっていくと考えています。
日本のSLH加盟ホテルについて、どのような印象や可能性を感じていますか?
日本のホテルや旅館には、世界でも類を見ないホスピタリティ文化があります。「お客さまを自宅に招く」という感覚が、今も現場に息づいていると感じます。
その意味で、日本の独立系ホテルや旅館とSLHは、とても相性が良いと思っています。もし英語対応や海外へのPRがもう一段強化され、政府や地域がインバウンド受け入れ体制をさらに整備していけば、日本は“第二のイタリア”のような存在になってもおかしくありません。
私たちとしては、ぜひ多くの日本のホテルの皆さんにSLHファミリーに加わっていただき、その魅力を世界中のゲストと共有できればと願っています。
最後に、SLHがこれから目指す“未来のラグジュアリーホテルの理想像”を教えてください。
私たちが目指すのは、「ゲストが行きたいと思うすべての場所」に、小さくて個性的なラグジュアリーホテルが存在している世界です。例えば、今も多くの需要があるにもかかわらず、まだSLHの加盟ホテルがないハワイのような場所にも、ぜひファミリーを増やしていきたいと考えています。
同時に、どれだけ拡大しても、品質とあたたかさを失わないこと。リラクゼーションやウェルビーイングへのニーズに寄り添い続け、サステナビリティを大切にし、そして何よりも「EI(感情知能)」を核に据えたホテルであり続けること。
私たちにとって最も大切な資産は、不動産でもブランドロゴでもありません。家族のようなつながり、心と心のつながりです。その価値観を共有できるホテルと共に、これからのラグジュアリートラベルの未来をつくっていきたいと思っています。
Small Luxury Hotels of the World™(スモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド)について
世界90ヶ国以上、650軒を超える独立系ラグジュアリーブティックホテルが加盟する、世界有数のホテルブランドのグループ。
公式HP:https://www.slhhotels.jp/
―――
文・オータパブリケイションズ 月刊HOTERES編集長 義田




