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第42回 Wプロフェッショナルズ 第42回

学校法人日本ホテル学院 専門学校 日本ホテルスクール 校長 石塚 勉 氏 × ㈱フェイス 代表取締役 福永有利子 氏

【月刊HOTERES 2016年08月号】
2016年08月12日(金)
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㈱フェイス 代表取締役 福永有利子 氏
学校法人日本ホテル学院 専門学校 日本ホテルスクール 校長 石塚 勉 氏

福永 貴校は日本を代表するホテルの専門学校として実績を上げられ、卒業生の多くの方々がホテル経営者や管理職として活躍されておられます。“日本ホテルスクールの卒業生なら!”という信頼の看板も持っていらっしゃいます。まずはこれまでの経緯についてお聞かせいただけますでしょうか。
 
石塚 私は北海道名寄の出身で高校を卒業した年が1964 年、まさに東京オリンピック開催のときでした。オリンピック開催に向け東京や大阪ではシティホテルが続々オープンし、とても活気にあふれていました。右も左も分からずの上京でしたが卒業後の4 月から西武鉄道ホテル事業部(東京プリンスホテル)に就職し、ホテル業界への一歩を踏み入れたのです。ところが当時のお客さまの95% が外国人でしたから、かなりのカルチャーショックを受けました。そこでホテル業界に限らず、英語はこれからの時代を生きていくためには必要不可欠であると判断し、関西外語短大へ入学、さらに関西学院大学に編入したのです。卒業後、機械メーカーの貿易関係を希望して就職をしたのですが、1971(昭和46)年、プリンスホテルにてホテル学校を開校するという話を聞き、開業準備室要員として再度、ホテル業界に戻ってきたのです。
 
福永 当時、ホテル専門学校としての方向性やカリキュラム、運営ノウハウなど、どのようにして見出してこられたのですか。
 
石塚 幸いにもプリンスホテルの海外事業部が開校準備室の隣にありましたので、ホテル学校が先行している海外の情報を得ることができました。日本では立教大学や東洋大学、専門学校ではYMCA などありましたが、実務に即したホテルマン育成をするためにはホテル先進国に学ぶべきと判断しました。当時の運輸省や日本ホテル協会の調査報告書などもあり、アメリカ、イギリス、オランダ、イタリアなどの諸外国の学校情報を収集しました。新しい流れをいち早くつかんだ運営をしなければ世界に通用するホテルマンは育成できないと思ったからです。

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