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インタビュー  愛娘山口由美が語る  父山口祐司の肖像

【月刊HOTERES 2018年03月号】
2018年03月16日(金)
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旅行作家、ノンフィクション作家
山口 由美

プロフィール
1962(昭和37)年、父山口祐司と母裕子の長女として神奈川県箱根町に生まれる。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行、ホテルの業界誌紙でフリーランス記者として活動の後、1994(平成6)年、最初の著書『箱根富士屋ホテル』を出版。ホテル、旅行、人物評伝など幅広いテーマで執筆。2012(平成24)年に『ユージン・スミス 水俣に捧げた1100 日』で第19 回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書に『アマン伝説』『帝国ホテル ライト館の謎』『クラシックホテルが語る昭和史』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など多数。

ユニフォーム会計に着目
 
 山口祐司は、日本のホテル業界ではまれな実務、教育、研究の三分野にわたって活躍した人であった。
 
 彼にそのような人生を歩ませたのは、多分に偶発的な三つの理由による。
 
 一つ目は、富士屋ホテルの最後の同族経営者であった山口堅吉の長女、裕子(やすこ)の婿となったこと。
 
 二つ目は、結婚の条件でもあったコーネル大学ホテル経営学科に留学したこと。
 
 三つ目は、後継者として見込まれた富士屋ホテルが同族間の軋轢により山口家の経営を離れ、国際興業傘下となったこと。
 
 三つのどれが欠けても、おそらく彼は、業界の人々が知る山口祐司とはなり得なかったのではないだろうか。
 
 どういう経緯だったか忘れたが、今から十数年前、父は、取材者としての私とのインタビューに応じたことがあった。
 
 その一部は『箱根富士屋ホテル物語』の加筆になったが、とりわけ印象的だったのは、いわゆる富士屋ホテル事件と呼ばれた同族間の株の攻防戦の発端が、結婚披露宴の新郎への祝辞から始まった事実だった。
 
「私の来賓が祝辞に立ちまして、私を『富士屋ホテルの後継者』と呼んだものですから、親戚が騒然となりましてね」
 
 父は、24 歳の自らにおきた事件をまるで第三者の出来事を第三者に話すように淡々と語った。父と娘の間には、いつも富士屋ホテルが微妙なかたちで存在し、ゆえにお互いが他人行儀になる。それぞれが富士屋ホテルでないところに自分の立ち位置を見つけてからも、その関係性だけは変わらなかった。
 
 私の記憶の中の父は、富士屋ホテルの企画広報課長から始まる。
 
 富士屋ホテルに古くからあった案内所が広報課となったのは、父が留学から帰国した1961(昭和36)年ころのこと。私が生まれたのは翌1962 年で、企画広報課と名称を変えたのは、さらに翌年の1963 年だ。
 
 前身の案内所は、PR業務とゲストリレーション、宿泊予約と、ホテルの渉外を一手に引き受けた部署だったが、これを営業企画と広報に注力した現代的な部署に転換させたのが父だったことになる。
 
 お別れの会には、当時部下だった女性社員の皆さんがこぞって参加してくださった。若き日の父が富士屋ホテルに新風を吹き込ませた企画広報課がよみがえったようでうれしかった。
 
 そして1966(昭和41)年、富士屋ホテルは国際興業傘下となる。後ろ盾となる義父堅吉が亡くなったのは2年後のこと。34 歳の企画広報課長の父は、どれほど不安だったかと思う。父に対して掌を返すようになった幹部もいたと聞く。「富士屋ホテルのお嬢さん」だった妻の裕子は、なおもその感覚のままでいる。断崖絶壁に立たされた心境だったのではないか。
 
 そのころの父は、帰宅すると、いつも書斎にこもっていた。留学時代に学んだ最新のホテル経営学を頼りに、実力で頭角をあらわすよりほかに方法がなかったからだ。
 
 山口祐司の学術的功績というと、第一に、ニューヨーク市ホテル協会の会計システムで、後に世界標準となった、いわゆるユニフォーム・システムをいち早く日本に紹介したことがあげられる。その最初となったのが1971(昭和46)年4 月に出版した『ホテル管理会計』(柴田書店)だった。
 
 会計を専門としたのは、早稲田大学商学部で学んだ素養があったのに加えて、留学時代、いい成績を収めたことが理由だった。
 
「日本のソロバンなんて誰も知らなかったものだから、試験に持ち込むことを許されて、早く計算ができたおかげです」
 
 インタビューで、悪戯っぽく語った。
 出版後の同年12 月、父は富士屋ホテルの取締役となり副支配人となった。支配人となったのは、その2 年後のことだ。
 
 そのころ、私にとっての父は、烈火のごとく怒る赤鬼の印象だった。
 父に言わせれば、私がわがままで強情だからなのだが、富士屋ホテル最後の同族社長の孫として生まれ、祖父に溺愛された私が、勘違いして育つことを何より恐れていた。
 
 勉強しろと言われたことはない。怒りのツボは「電気の消し忘れ」「トイレットペーパーの使いすぎ」などコスト意識の欠如。倉庫に閉じ込められたこともある。
 
 家族旅行では、いつも遊園地に行く約束は反古にされ、気がつくとホテルの視察が始まっていた。母の裕子もホテルの中で育った人だったから、それに異は唱えない。小学生の私だけが不愉快で納得できなかった。
 
 だが、厳格なようでいて、好奇心旺盛、流行にいち早く飛びつく一面もあった。理論派とされる一方で、話がわかりやすかったのは、世俗の情報に通じていたからだ。
 
 1970 年代、お気に入りアイドルは桜田淳子。父の書斎のドアには、等身大のポスターが長いこと張られていた。
 
 1978(昭和53)年に母の裕子が亡くなり、2 年後に前山順子と再婚する。
 
 最初の結婚は、富士屋ホテルとの結婚という意味合いが大きかった。裕子は父を心から愛したが、過剰な自己実現への欲望から、愛情は空回りし、心と体のバランスを失った。支えてもらうことを望むのは難しい伴侶だった。
 
 娘の私にとっても、それが難しい母だったからよくわかる。その父にとって、継母順子は、ようやく得た最愛の伴侶と言えた。いつしか桜田淳子のポスターは消えていた。
 
 富士屋ホテル支配人として忙しい日々を過ごし、私生活でも激動だったころの1977 年(昭和52)年、山口祐司は、第二の学術的功績と言える訳書『ホテル・レストランのマネジメント契約』(柴田書店)を出版する。その後、改訂を重ねた同書は、日本のホテルオーナーが米国のホテルオペレーターとの契約交渉に際して必要なことを体系的に日本語で学べる本だった。外資系ホテルの進出を見据えた先進的なものと言えた。
 
 1980 年代の父は、富士屋ホテルチェーンの発展と共にあった。1983(昭和58)年、国際興業の本社跡地に八重洲富士屋ホテルが開業。父は同ホテル支配人となり、翌年、富士屋ホテル専務となる。
 
 八重洲富士屋ホテルは、東京駅前の便利な立地に立つ高級路線のビジネスホテルとして営業的に成功したと同時に、国際興業社主であった小佐野賢治の「応接間」としての役割も担ったホテルだった。刎頸の友、田中角栄も頻繁に訪れた。歴史ある宮ノ下の富士屋ホテルと異なり、一から育て上げた八重洲富士屋ホテルに父は、ことさらの思い入れがあったようだ。
 
 1985(昭和60)年、大学を卒業した私は、第一志望の新聞社に落ちて、滑り止めの通販会社に入る。だが、モチベーションがどうにも上がらず、留学を意図した時期があった。父と同じコーネル大学ホテル経営大学院を目指したいと打ち明けた。だが、父は、それを許さなかった。
 
 そのころ、父は、しばしば甘い気持ちで留学を希望する志願者に雷を落としていたが、就職に失敗し、留学を希望する娘に同じ甘さを見たのだろう。
 
 その代わり、何を思ったのか、父は私に仕事先を紹介してきたのである。
 実は、大学時代から私はトラベルライターとして仕事をしていた。父が紹介してくれた編集プロダクションのアルバイトがきっかけだった。ところが、そこが倒産してしまった。原稿料が不渡りになったときの父の台詞は忘れられない。
 
「いい経験ができてよかったな。しっかり回収してきなさい」
 そして、私は原稿料を回収し、出版社と直接、仕事をするようになった。
 その出版社とのつながりも続いていたが、さらに父が紹介してくれたのが、ほかならぬオータパブリケイションズだったのである。
 なぜ父がコーネル大学への留学を後押しせず、ジャーナリストになる道を私に示したのか、その真意はわからない。
 子供のころから父の口癖は「ホテルの仕事とは便所掃除である」だった。実際、大晦日も元旦も出勤する父の姿は、過酷な職業に映ったし、ホテルを華やかな仕事だと思ったことはない。富士屋ホテルとの微妙な関係ゆえ、私をホテリエの道に進ませたくなかったのだろうか。今になっていろいろ考える。
 
 その結果、1994(平成6)年、私は最初の著書『箱根富士屋ホテル物語』を出版することになる。父が富士屋ホテルチェーン総支配人および同副社長として経営の陣頭指揮を執っていたころのことだ。当初、同書は社内でネガティブなものとして扱われ、少なからず父の立場も悪くさせた。だが、父は、電気をつけっぱなしにしたときや留学したいと言い出したときほどは怒らなかった。
 

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