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第二回 川尻 倫明  プロフェッショナルF&Bを追い求めて 

第二回 セザール・リッツとベル・エポックの時代

【月刊HOTERES 2017年05月号】
2017年05月12日(金)
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本連載では、F&B のサービスマンにむけて、プロフェッショナルになっていくために何が必要なのかを解説していきます。職人として給仕長でありながらグローバルな感性を持ち、顧客満足と利益のバランスを兼ね備えるスペシャリストである必要があるF&Bサービスマン。そのF&Bサービスの歴史を紐解きながら解説していきます。第二回目はセザール・リッツとベル・エポックについて紹介しましょう。

 
F&B マネージメント
ホテル・レストラン運営コンサルタント
川尻 倫明
〈プロフィール〉音楽の勉強に渡仏した際、フランス料理と本場のサービスに感銘をうけフレンチの世界へ。フランス料理店「銀座レカン」を皮切りに「ホテル西洋銀座」のメートル・ドテルとしてF&B に携わる。その後日本各地のホテルでF&B ディレクター、宿泊部長、総支配人等を歴任する。フランス三ツ星レストラン、ロスアンジェルスのファインダイニングなどでサービスを経験。エドモンド・ロスチャイルド夫妻、クリストファー・ヒル国務次官補(当時)などのVIP 担当も多い。1995 年「メートル・ド・セルヴィス杯」優勝。現在はホテル・レストランに特化したコンサルティングを主に活動しており、ホスピタリティ関係の講演、地元英語学校とのコラボで接客に特化した英会話講座開催など、サービススキルとビジネス感覚を持ち合わせもったグローバルなサービスパーソン育成活動を地方から発信している。「広島から世界へ」が自身の育成テーマ。
 

メートル・ドテル セザール・リッツ
 
 過去、現在においても、カリスマ的ホテルマンの一人として「セザール・リッツ」を挙げることに異論のあるホテル関係者は少ないと思います。
 
 さて、F&B の連載でなぜセザール・リッツを取りあげるのか不思議に思われるかもしれません。実はセザール・リッツはマキシムの給仕長アルベール・ブラゼと共に、レストランサービスにおいてもカリスマ的存在なのです。
 
 若き日のリッツが17 歳のとき(1867年)、パリ万博のスイス館で給仕の仕事に就きます。ここがリッツにとってサービスのスタートとなりました。その後リッツは、点々と職を変えていき、当時パリの有名レストラン「Le Voisin」(ル・ヴォワザン)に勤めます。そこでめきめきと頭角を現し、20 歳という若さで支配人に抜擢されたという記述もあります。
 
 その後紆余曲折を経てリビエラに移り、さまざまなホテル・レストランで経験を積みます。モンテカルロの「グランド・ホテル」の支配人となったときの年齢は27 歳、F&B 出身の総支配人誕生です。リッツのサービスの原点はレストランのメートル・ドテルなのです。
 
 各客室にトイレとバスタブをホテルで初めて導入したのはリッツで、顧客の居心地を最優先に考えるリッツは、その後も多くの提案を実現させていきます。料理においては、ルツェルンで活躍していた名料理長「オーギュスト・エスコフィエ」をモンテカルロのグランド・ホテルに招聘します。その黄金のコンビは、翌年にロンドンのサヴォイを成功させ、さらにその翌年にはローマのグランドホテル(現在のセント・レジス)を同チームでのオープンを任され、そこではインテリアまでもがリッツ自らのデザインを担当したとされます。
 
 料理業界ではエスコフィエによって厨房のオーガニゼーションが確立され、近代のホテルにおいて今も採用されています。調理人に組合制度を作り、過酷だった労働条件の改善に尽力したのもエスコフィエでした。リッツとエスコフィエの業界への貢献度は目を見張るものがあり、現代に生きる私たちにとっても勉強になることが多いのです。

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