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本誌 松沢良治 ニュースな話&人物クローズアップ 

魅力ある地方観光

【月刊HOTERES 2016年01月号】
2016年01月08日(金)
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徳島県・鳴門にある2 代目となる「鳴門ドイツ館」
 
 新年おめでとうございます。本当に年月の過ぎ行くのは速いものであっという間に2015 年は終わってしまった。ついこの間新しい年を迎えたばかりだったのに、と思っていたが。
 
 といっても相当動き回った1 年ではあった。国内・海外合わせると30 数回出張に出かけている。月に3 回程度になるが、それでも2 泊3 日となると1 カ月の三分の一は地方で暮らしている計算だ。
 
 そのため最近ではできるだけ歩き回りその地方の魅力に接したいという意識に変わってきている。以前は仕事が終わればさっさと帰ってきていた。周辺を歩きまわれば地方の魅力に気づき、新しい旅に変容する。単なる仕事だけではなく、もっと豊かな時間を得たことになる。
 
 徳島・鳴門市にある「ルネッサンス リゾート ナルト」の取材でもそうしたことを体験した。
 ホテルから車で20 分の場所に「鳴門ドイツ館」がある。大正6 ~ 9 年の3 年間に、第一次世界大戦時のドイツ兵俘虜を収容した施設「坂東俘虜収容所」を記念してつくられたものだ。ドイツ兵俘虜の話は知っており、一度行ってみたいとは思っていたが実際行ってみると、えっ! と驚いてしまうほど多くの発見と感動があった。石造りの立派なドイツ風建物に足を踏み入れた。
 
 今から100 年前の話になる。坂東俘虜収容所には1000 人ほどのドイツ兵が暮らしており、人道的な管理方針から世界でも類を見ない模範収容所として運営されていた。収容所には床屋もパン屋もあり、運営はすべてドイツ人の自主運営。池にはボートもあり散策も自由にできた。現在の捕虜収容所のイメージからは信じがたいほどだ。あまりにもかけ離れているではないか。
 
 驚くことにいくつかの楽団も作られ、時には地域住民との交流もあった。ドイツ人楽団がバッハの曲を奏で、日本人が長唄を披露する場面もあったというから、なんとも楽しい話ではないか。ちなみに日本で交響曲「第九」が演奏されたのはこの「坂東俘虜収容所」であったことは最近になって聞かれるようになっている。
 
 ドイツ館にはドイツ兵がどうして坂東に来るようになったのか、どのような収容所生活を送っていたのか、地域住民とどうかかわりあっていたのかなど、当時の様子が分かりやすく説明されている。当時の部屋とか、その中での練習風景とかが模型を使って展示されているから分かりやすい。
 
 また所内での定期刊行物も出版されており、その本が展示さていた。ガリ版刷りのものだが多色刷りで表紙などは息をのむほど繊細にデザインされている。きめ細やかさは日本人を上回っていると思ったほどだ。
 
 数年に及ぶ俘虜生活に思いをはせれば、必ずしも快適ではなかっただろう。それでも解放後は60 人もの俘虜が日本に残ったというからこれも驚きだ。
 さらにこうした自由度が高い俘虜生活の背景にはもう一つの物語がある。所長が会津藩出身の松江豊寿大佐。戊辰戦争の敗北から学んだであろう「敗者への配慮」が感じられる。ドイツ人俘虜は5000人近くいたが5 ~ 6 カ所に分かれて収容されていた。その中でも最も自由度が高かったのが松江大佐所長の「坂東俘虜収容所」だったのである。「武士の情け」とも言える考えが反映されているようで面白い。ドイツ館を見学することが戊辰戦争と結びつくとは思いもよらなかった。

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