佐藤 裕久
Hirohisa Sato
Profile
京都市上京区生まれ。神戸市外国語大学英米語学科中退、アパレル会社で出店計画事業などに従事後、1991 年有限会社バルニバービ総合研究所設立、代表取締役に就任。98年㈱バルニバービに組織変更。現在、東京・大阪をはじめ全国に78 店舗(2017 年9 月末時点)のレストラン・カフェやスイーツショップを展開。著書に『一杯のカフェの力を信じますか?』(河出書房新社)、『日本一カフェで街を変える男』(グラフ社)がある。
“ 思い” の確認、そして始動
そしてこのプランを進める上でもう一つどうしても確認しておきたいことがありました。行政(役所および市長)はこの駅のプロジェクトに何らかの考えや思いはあるのか?
あるとすればどんなふうなことなのか? ということでした。
このプロジェクトは民間だけで行なうイメージではありませんでした。われわれ飲食事業社の『頑張ります!』だけで進むものではなく、何かしら街(行政とそこに住まわれている方々)とわれわれ民間事業者が一体とならなければ動かない、そんな気がしていたのです。
古くからの友人である堀義人さんが主催するGI(日本版ダボス会議)の関西大会が大津で行なわれたのが偶然にもそのタイミングでした。
不思議な導き…その時点で越市長とはそれまで面識もない僕だったのですが、その会議で立ち話の機会を得ました。
『市長、JR 大津駅改装計画の話はお聞きでしょうか?』
『もちろんです! 市としても駅そのものの美化および観光
案内所の改装にそれなりの予算を計上しています。県庁所在地の駅がこのままではダメだという市民の声が多いんです!』
『それは良かった!! われわれはこういう会社です…(今までの仕事内容や考え方を簡単にお伝えしました)。今回JR 西日本からこんなふうに声をかけていただいています。われわれにとってもかなり大きなプロジェクトになりますし、投資も小さくはありませんので取り組むか否か現在検討中なんですが…』
『ぜひ 一度話す機会を!』
何かが動き始めるタイミングとはこういうことなのでしょう。
市長そして役所の方々と後日ミーティングの機会を得ました。じっくりと市長、副市長、役所の方々のお話をお聞きしました。
前回書いた市長が話されたところジュネーブ構想と僕が大津周辺から琵琶湖を歩いた際に感じたイメージが重なり一つの道がはっきりと見えました。
もう迷いはありませんでした。
われわれの今まで培ってきたノウハウをこの街で、この駅で形にしよう!
そんなふうに生まれたのが、大津駅のキーテナントとしてテラス含め400 坪の大型店舗として作った『ザ・カレンダー』です。2016年10月多くの方々のご協力の中での門出でした。