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第8回 平尾彰士 出会いの不思議な力 ~人生を変える出会いは誰にでもある~

第8回「ウェスティンホテルの歴史」番外編

【月刊HOTERES 2016年06月号】
2016年06月03日(金)
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平尾彰士(ひらお・あきお)
1940 年2 月6 日生まれ。67 年11 月、サンフランシスコ都ホテル副支配人就任。70 年6 月、東京にウェスティンホテルのセールス事務所設立。リージョナル・セールス・マネージャー就任。85 年9 月、ウェスティンホテル&リゾート、アジア地区セールスオフィス副社長就任。2001 年1 月、スターウッドホテル&リゾート、日本・韓国・グアム地区統括社長就任。06 年4 月、日本スターウッドホテル㈱会長就任。同12 月、同社定年退職。
08 年4 月、立教大学観光学部特任教授。10 年3 月、立教大学退職。現在ヒラオアソシエイツ代表。

ビジネスの多くの成功者が、年を重ねて思うことがある。「今の自分があるのは、あの時、あの出会いがあったからだ」と。日本人で初めて、スターウッドホテル&リゾート日本・韓国・グアム地区社長に就任した平尾彰士氏。本連載を通して、平尾氏が経験したことをもとに、次世代の経営者や若いホテリエにメッセージを伝えていく。

シアトル万国博覧会
(1962 年4 月21 日-1962 年10 月21日)
 今回は出会いを大切にするカールソン氏のホテル社長としてではなく、一人の民間人としてシアトル市並びにワシントン州を代表してシアトル万博会長の仕事を見事に成功に導いたエピソードをご紹介したいと思う。
 
 話は1955 年2 月ワシントン州知事からの一本の電話で始まった。万博実行委員長を無給でやって欲しいとのこと。カールソン氏は当時ホテルの副社長で、社外での活動は控えるよう社長に言われていたので最初は断ったが、度重なる要請に結局受諾する。彼はそのときいくつかのことを頭に描いていた。ちょうど当時ソ連がスプートニクを打ち上げ、宇宙開発戦争が始まった時代である。これは万博のテーマになると考え、15 人の著名な科学者を招聘し、素人や子供でも理解でき、興味を持つような科学の展示館を提案した。それがサイエンス・パビリオンとして設計され、万博後今日でも活用されている。この建物のデザインは前号でもご紹介したミノル・ヤマサキ氏である。

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