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第四回 ㈱バルニバービ  佐藤 裕久  『それでもなお一杯のカフェの力を信じますか?』 

第四回 『われわれが東北で会社説明会を始めたこともその願いの延長線上にありました』

【週刊ホテルレストラン2017年09月15日号】
2017年09月15日(金)
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佐藤 裕久
Hirohisa Sato
Profile
京都市上京区生まれ。神戸市外国語大学英米語学科中退、アパレル会社で出店計画事業などに従事後、1991年㈲バルニバービ総合研究所設立、代表取締役に就任。98年㈱バルニバービに組織変更。現在、東京・大阪をはじめ全国に79店舗(2017年8月末時点)のレストラン・カフェやスイーツショップを展開。著書に『一杯のカフェの力を信じますか?』(河出書房新社)『日本一カフェで街を変える男』(グラフ社)がある
 

 
『われわれが東北で会社説明会を始めたことも
その願いの延長線上にありました』
 
2011 年3 月11 日、あの日は現在東京本部を置く蔵前ミラービルの翌月4 月1 日開業に向けて準備の真っただ中でした。
 
原発暴走の恐怖に加え資材・人材が復興に向かうことにより当然のように工事は止まりました。
できるかできないではなく、工事を継続するのかどうかさえ決めきれない状況でした。
最悪関東の事業を失うかも…それくらいの思いだった数日間を今、書きながら思い出しました。
TV では津波というとてつもない怪物に飲み込まれた東北の様子が繰り返し繰り返し流されていました。
 
『あの日と同じじゃないか…』
 
1995 年、神戸は瓦礫の街と化しました。そこで飲食業を始める覚悟をした僕にはその日から東北のことが頭から離れませんでした。
 
自らの事業はもちろん大事です。でもそれと近い思いで東北の街を思っていました。居ても立っても居られない。
 
4 月9 日、東北自動車道の仮復旧をもってわれわれスタッフ4 人はワンボックスカーに寸分の隙もなく食材と調理器具を詰め込み東北に向かいました。
 
当時仙台長町に小さなスイーツショップを出店していた縁で、向かったのは宮城県。
TV で繰り返し中継される大きな避難所、亘理郡の山元町立山下中学校でした。
神戸での経験から豚汁とカレー、おにぎりは既に出し尽くされているはず。メニューはパスタ3 種とホットチョコレート、デザートにアリンコロールケーキにしました。
夜を徹して車を走らせました。開通したとはいえ高速道路は大きな段差や破損だらけ…いたるところに注意!! の赤いコーンが置かれていました。高速道にも関わらず、出せるスピードは低速のみ、そんな中、2 百数十㎞走ったころに並走する大型トレーラーのタイヤが突然バースト!
あわや煙を上げ蛇行する車両に巻き込まれそうになるのをギリギリすり抜け…
そんな危険と隣り合わせの移動でした。

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