1924年、全国中等学校優勝野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)の開催を目的に建設されてから、2024年で100周年を迎えた阪神甲子園球場。ホームとする阪神タイガースと共に、地域や社会、環境とどのように向き合って来たのだろうか。また、3月に新たに兵庫県尼崎市にオープンする「ゼロカーボンベースボールパーク」では、どのように向き合っていくのか。兵庫県出身で大の虎ファンの小誌 義田真平が阪神タイガース社長 粟井一夫氏に聞いた。


「故郷」として次の100年も次世代につないでいく使命
義田 阪神甲子園球場(以下、甲子園球場)は2024年8月に100周年、阪神タイガースは今年90 周年を迎えられました。改めてどのようなお気持ちですか。
粟井 西宮の地で100年運営させていただくなかで、西宮市だけでなく関西の「コミュニティの一部」になれたと感じています。高校野球も含めると、おこがましいかもしれませんが、「日本のコミュニティの一部」と言えるかもしれません。
義田 たしかに、私も含めて関西人にとって甲子園球場は「故郷」みたいな感覚がある気がします。次の100年をどのように見据えておられるのでしょうか。
粟井 まずは甲子園球場が今の形であり続けることが使命だと感じています。高校球児にとっても、プロ野球選手にとっても「故郷」ですから。もっと言えば、「自分の地域の代表校が出場した球場」という支持もあります。そういう方の期待を裏切らず、確実に次世代につなげるために、「日本一の球場であり続けること」「日本一愛される球場であること」「日本一を決める球場であること」という目標を掲げました。
義田 具体的に、どのような活動をしていかれるのでしょうか。
粟井 地域コミュニティの結節点になることであれば、野球だけでなくさまざまな機会を設け、みなさまに来ていただきたいと思っています。西宮市の成人式の会場にしていただいたり、近隣の方やお子さんにも集まっていただいて、球場をフルに使って楽しんでいただくイベントを開催したりもしています。
義田 幅広いシーンで利用されているのですね。
粟井 これは今に始まったことではなくて、1938 年には、長野から雪を運んでスキージャンプの大会を開催したり、ボクシングが行なわれたり、現在もアメフトの大会である甲子園ボウルが開かれています。そうやって歴史を紡いできたからこそ、自然と地域に溶け込んでこられたのだと思います。